・・・もう一作拝見、もう一作拝見、てうかしがましい市場の呼び声に私は答える。「同じことだ。――舞台を与えよ。――私はお気に入るだろう。――こいしくばたずね来てみよ。私は袋の中から七篇の見本をとりだして、もいちどお目にかけるまでのことだ。私はその七・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・という老婆の勝ち誇ったような澄んだ呼び声に応えて、やがて現われた、ラプンツェルの顔。 その六 ――美人であった。その顔は、輝くばかりに美しかった。――と長兄は、大いに興奮して書きつづけた。長兄の万年筆は、実に太い・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ こういう風に考えてみると、博士濫造の呼び声の高くなるのは畢竟学術研究者の総数の増加したことを意味し、従って我国における学術研究熱の盛んになったことを意味し、我学界の水準の高まったことを意味するのではないか。そうだとすれば濫造の噂が高け・・・ 寺田寅彦 「学位について」
・・・といったような、考えようではむしろ甚だ不合理な呼び声にしばしば脅かされなければならないことがあるのもまた事実であり、現在の現象である。 「環境」という方面から見た「研究の自由」に関する「事実」は、先ず大要以上のごときもののようである。・・・ 寺田寅彦 「学問の自由」
・・・が私に呼びかける呼び声もまたやはりこの漠然とした不思議な印象の霧の中から響いてくるのは自然の宿命である。 八雲氏の夫人が古本屋から掘り出して来たという「狂歌百物語」の中から気に入った四十八首を英訳したのが「ゴブリン・ポエトリー」という題・・・ 寺田寅彦 「小泉八雲秘稿画本「妖魔詩話」」
・・・そうして昨今国民の耳を驚かす非常時非常時の呼び声はいっそうこの方向への進出を促すように見える。 東京市全部の地図が美しい大公園になってそこに運動場や休息所がほどよく配置され、地下百尺二百尺の各層には整然たる街路が発達し、人工日光の照明に・・・ 寺田寅彦 「地図をながめて」
・・・ ある日の午前に日比谷近く帝国ホテルの窓下を通った物売りの呼び声が、丁度偶然そのときそこに泊り合わせていた楽聖クライスラーの作曲のテーマになったという話があったようである。自分の怪しう物狂おしいこの一篇の放言がもしやそれと似たような役に・・・ 寺田寅彦 「徒然草の鑑賞」
・・・と呼び歩いた、あの呼び声がいったいいつごろから聞かれなくなったかどうも思い出せない。すべての「ほろび行くもの」と同じように、いつなくなったともわからないようにいつのまにかなくなり忘れられ、そうして、なくなり忘れられたことを思い出す人さえも少・・・ 寺田寅彦 「物売りの声」
・・・ 赤白マダラの犬は、主人の呼声を知らぬふりで飛び跳ねながら、並樹土堤から、今度は一散に麦畑の中へ飛び込んで来た。麦の芽は犬に踏みにじられて無惨に、おしひしゃがれ、首を折って跳ねちらかされた。 そんとき、善ニョムさんは、気がついてびっ・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・ 外へ出ると、人の往来は漸く稠くなり、チョイトチョイトの呼声も反響するように、路地の四方から聞えて来る。安全通路と高く掲げた灯の下に、人だかりがしているので、喧嘩かと思うと、そうではなかった。ヴィヨロンの音と共に、流行唄が聞え出す。蜜豆・・・ 永井荷風 「寺じまの記」
出典:青空文庫