・・・と癇癪声を張り上げるが口喧嘩にならぬ先に窓下を通る蜜豆屋の呼び声に紛らされて、一人が立って慌ただしく呼止める、一人が柱にもたれて爪弾の三味線に他の一人を呼びかけて、「おやどうするんだっけ。二から這入るんだッけね。」と訊く。 坐るかと思う・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・なったり、結婚生活と職業とが労力的に両立しがたかったりして、そういう困難にぶつかると、女のひとはそれを我々の今日生きている社会のおくれた形から蒙っている男女の損失として見るより先に、わが心のうちに旧い呼び声をめざめさせられ、結局女はやっぱり・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・改造文庫で出ているジャック・ロンドンの「野生の呼声」や「ホワイト・ファング」は犬や狼を描いた文学作品の出色のものであるし、キプリングの「ジャングル・ブック」もなかなか豊かな動物と人間の絵巻をひろげている。ハドソンの「ラプラタの博物学者」は、・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・よほどして、日によると、数間彼方の釣堀から、遽しい呼び声が起る。「おーい、早く、バケツ」 私は、あわてふためいて台どころに降り、バケツに水を汲み込み、そとへ駆け出す。水がこぼれるから早くは駆けられない。体の肥って丸い、髪をぐるぐる巻・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・作家の社会的孤立化に対する自覚と警戒、その対策が、文学の大衆化の呼声となって現れて来たのは、本年初頭からのことなのである。 こういう事情でとりあげられているきょうの文学の大衆化の問題について、二つの問題が常にこんぐらがってもち出されて来・・・ 宮本百合子 「今日の文学に求められているヒューマニズム」
・・・ 文芸復興の呼声は自身の創作方法としてリアリズムの提唱をしたのであった。しかしながら、その時期これらの人によって言われたリアリズムというものは、前後して日本にも紹介され始めた社会主義的リアリズムの理解とは性質を異にしていた。この人々の云・・・ 宮本百合子 「今日の文学の鳥瞰図」
・・・ 明治文学の再評価の機運があることや、不安の呼び声の裡に方向を失っている若手のスランプが刺戟となったりして、自然主義以来の老作家たちが、それぞれ手練の作品をひっさげ、数年の沈黙を破って再び出場して来たことである。島崎藤村は明治文学の記念・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・ 不安の文学の瀰漫した呼声、それに絡んで作家の教養とか文章道とかが末技的に云われている一面、その頃の合言葉として更に一つの響があった。人生と文学とにおける高邁な精神という標語である。「高邁なる精神」は横光利一氏とその作品「紋章」をとり囲・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・子供が大喜びの呼声を上げて野原を馳けるように、我を忘れた嬉しさで櫂を動すのでございます。先生、先生は、月夜に立ちのぼる水の、不思議に蠱惑的な薫りを御存じでございますか、扁平な櫂に当って転げる水玉の、水晶を打つ繊細な妙音を御存じでございますか・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・と彼は安次の呼び声を遮った。「うん、こう鼻たれるようになったらもうあかん。帰れたもんやないけれどさ。とうとうやられてのう。心臓や。お前医者めが持たん云いさらしてのう。どうもこうもあったもんやない。このざまやさ。」「どうした?」「・・・ 横光利一 「南北」
出典:青空文庫