・・・しかしわたくしたち二人、二十一、二の男に十六、七の娘が更け渡る夜の寒さと寂しさとに、おのずから身を摺り寄せながら行くにもかかわらず、唯の一度も巡査に見咎められたことがなかった。今日、その事を思返すだけでも、明治時代と大正以後の世の中との相違・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・もなすという瘠我慢も圧迫も微弱になったため、一言にして云えば徳義上の評価がいつとなく推移したため、自分の弱点と認めるようなことを恐れもなく人に話すのみか、その弱点を行為の上に露出して我も怪しまず、人も咎めぬと云う世の中になったのであります。・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・故に我輩は単に彼等の迷信を咎めずして、其由て来る所の原因を除く為めに、文明の教育を勧むるものなり。一 人の妻と成ては其家を能く保べし。妻の行ひ悪敷放埒なれば家を破る。万事倹にして費を作べからず。衣服飲食抔も身の分限に随ひ用ひて奢・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・然るに論者は性急にして、鏡に対して反射の醜なるを咎め、瓜に向いて茄子たらざるを怒り、その議論の極意を尋ぬれば、実物にかかわらずして反射の影を美ならしめ、瓜の蔓にも茄子を生ぜしむるの策ありと、公にこれを口に唱えざれば暗に自からこれを心の底に許・・・ 福沢諭吉 「学者安心論」
・・・春の夜に尊き御所を守身かな春惜む座主の連歌に召されけり命婦より牡丹餅たばす彼岸かな滝口に灯を呼ぶ声や春の雨よき人を宿す小家や朧月小冠者出て花見る人を咎めけり短夜や暇賜はる白拍子葛水や入江の御所に詣づれば・・・ 正岡子規 「俳人蕪村」
・・・これをしも、祭司次長が諸君に告げんと欲して、敢て咎めらるべきでない。諸君、吾人は内外多数の迫害に耐えて、今日迄ビジテリアン同情派の主張を維持して来た。然もこれ未だ社会的に無力なる、各個人個人に於てである。然るに今日は既にビジテリアン同情派の・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ インガは思わずきき咎めた。「何です?」「薄暗い隅っこで若僧といちゃついてる!」 ルイジョフは、居合わせる多勢の労働者に向って叫んだ。「見たんだ! 俺は自分で見たんだ! これが、正しいっていうのか? え?」 インガは・・・ 宮本百合子 「「インガ」」
・・・電気――エレキへの科学者としての興味をひかれ、実験を試みたことから、幕末の平賀源内が幕府から咎めを蒙った事実も忘れ難い。科学博物館編の「江戸時代の科学」という本は、簡単ではあるが、近代科学に向って動いた日本の先覚者たちの苦難な足跡を伝えてい・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・酒が好きで、別人なら無礼のお咎めもありそうな失錯をしたことがあるのに、忠利は「あれは長十郎がしたのではない、酒がしたのじゃ」と言って笑っていた。それでその恩に報いなくてはならぬ、その過ちを償わなくてはならぬと思い込んでいた長十郎は、忠利の病・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・それで旅人に宿を貸して足を留めさせたものにはお咎めがあります。あたり七軒巻添えになるそうです」「それは困りますね。子供衆もおいでなさるし、もうそう遠くまでは行かれません。どうにかしようはありますまいか」「そうですね。わたしの通う塩浜・・・ 森鴎外 「山椒大夫」
出典:青空文庫