・・・と答えましたが、すぐにまた哀訴するような眼なざしを恐る恐る泰さんの顔へ挙げて、「やっと正気になりました時には、もう夜が明けて居りましたんです。」と、怨めしそうにつけ加えると、急に袂を顔へ当てて、忍び泣きに咽び入りました。そう云う内にも外の天・・・ 芥川竜之介 「妖婆」
・・・ 父の生活を理解してくれ――いつの場合でも私はしまいにはこう彼に心の中で哀訴しているのだ。涙で責めるな!……私はまたしてもカアッとしてしまった。「何だって泣くんだ? これくらいのこと言われたって泣く奴があるか! 意気地なしめ!」「だ・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・どのような悪罵を父から受けても、どのような哀訴を母から受けても、私はただ不可解な微笑でもって応ずるだけなのである。針の筵に坐った思いとよく人は言うけれども、私は雲霧の筵に坐った思いで、ただぼんやりしているのである。 ことしの夏も、同じこ・・・ 太宰治 「玩具」
・・・噂に依れば、このごろ又々、借銭の悪癖萌え出で、一面識なき名士などにまで、借銭の御申込、しかも犬の如き哀訴歎願、おまけに断絶を食い、てんとして恥じず、借銭どこが悪い、お約束の如くに他日返却すれば、向うさまへも、ごめいわくは無し、こちらも一命た・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・噂に依れば、このごろ又々、借銭の悪癖萌え出で、一面識なき名士などにまで、借銭の御申込、しかも犬の如き哀訴嘆願、おまけに断絶を食い、てんとして恥じず、借銭どこが悪い、お約束の如くに他日返却すれば、向うさまへも、ごめいわくなし、こちらも一命たす・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・最後のクライマックスで、封建社会での王は最も頼みにしているルスタムの哀訴さえ自身の権勢を安全にするためには冷笑して拒んだ非人間らしさを描き出している。「渋谷家の始祖」は一九一九年のはじめにニューヨークで書かれた。二十一歳になった作者が、・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第二巻)」
・・・の老婆の、あの哀訴にみちた瞳の光りが描けたろう。 ケーテのスケッチに充ちている偽りなさと生活の香の色の濃厚さは、私たちにゴーリキイの「幼年時代」「私の大学」「どん底」などの作品にある光と陰との興味つきない錯綜を思いおこさせる。また魯迅が・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
・・・はっきり 我ことと 思われるではありませんか。又、今日は哀愁の満ちたベルレーヌの詩をよみルドン、マチス、クリムトの絵を見る。実に近代の心、思いが犇々と胸に来る。哀訴や、敏感や、細胞の憂愁は全く都会人、文明人の特質・・・ 宮本百合子 「初夏(一九二二年)」
・・・まして国鉄本省にあらわれた下山氏がとりみだしていたという姿は、一日に千余通送られていた人民の哀訴の手紙と、権力に奉仕する官僚としての板ばさみの立場に苦しむ同氏の心の乱れのほかではないだろう。 死の過程がどうであったにしろ、下山氏の死の本・・・ 宮本百合子 「「推理小説」」
・・・を唱いながら皇帝へ哀訴にやって来た。群衆の中には無数の女子供があった。彼らがひざまずいて祈りはじめ哀号しはじめると、皇帝ニコライは慈愛深い父たる挨拶として無警告の一斉射撃を命じた。灰色の官給長外套を着たプロレタリアートの子が命令の意味を理解・・・ 宮本百合子 「スモーリヌイに翻る赤旗」
出典:青空文庫