・・・殊に紅唐紙の聯を貼った、埃臭い白壁の上に、束髪に結った芸者の写真が、ちゃんと鋲で止めてあるのは、滑稽でもあれば悲惨でもあった。 そこには旅団参謀のほかにも、副官が一人、通訳が一人、二人の支那人を囲んでいた。支那人は通訳の質問通り、何でも・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・私は靴をぬいで、帽子とオオヴァ・コオトとを折釘にかけて、玄関から一間置いた向うにある、書斎の唐紙をあけました。これは茶の間へ行く間に、教科書其他のはいっている手提鞄を、そこへ置いて行くのが習慣になっているからでございます。 すると、私の・・・ 芥川竜之介 「二つの手紙」
・・・その上に琉球唐紙のような下等の紙を用い、興に乗ずれば塵紙にでも浅草紙にでも反古の裏にでも竹の皮にでも折の蓋にでも何にでも描いた。泥絵具は絹や鳥の子にはかえって調和しないで、悪紙粗材の方がかえって泥絵具の妙味を発揮した。 この泥画について・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 北の八番の唐紙をすっとあけると中に二人。一人は主人の大森亀之助。一人は正午前から来ている客である。大森は机に向かって電報用紙に万年筆で電文をしたためているところ、客は上着を脱いでチョッキ一つになり、しきりに書類を調べているところ、煙草・・・ 国木田独歩 「疲労」
・・・そこへ茶の間の唐紙のあいたところから、ちょいと笑顔を見せたのは末子だ。脛かじりは、ここにも一人いると言うかのように。 その時まで、三郎は何かもじもじして、言いたいことも言わずにいるというふうであったが、「とうさん――ホワイトを一本と・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・破れた唐紙の陰には、大黒頭巾を着た爺さんが、火鉢を抱えこんで、人形のように坐っている。真っ白い長い顎髯は、豆腐屋の爺さんには洒落すぎたものである。「おかしかしかし樫の葉は白い。今の娘の歯は白い」 お仙は若い者がいるので得意になって歌・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 妻は枕元の火鉢の傍で縫いかけの子供の春着を膝へのせたまま、向うの唐紙の更紗模様をボンヤリ見詰めて何か考えていたが、思い出したように、針を動かし始める。唐縮緬の三つ身の袖には咲き乱れた春の花車が染め出されている。嬢やはと聞くと、さっきか・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
・・・掃除は早いが畳がいたんだり障子唐紙へ穴をあけるのでは少なくも日本の女中の登用試験では落第であろう。 八十歳の老人でできるだけ長時間ダンスを続ける、という競技の優勝者ブーキンス君は六時間と十一分というレコードを取った。もっと若い仲間でのレ・・・ 寺田寅彦 「記録狂時代」
・・・ちょっと一つの部屋から隣の部屋へ行く時にも必ず間の唐紙にぶつかり、縁側を歩く時にも勇ましい足音を立てないでは歩かない人と、また気味の悪いほどに物音を立てない人とがある事を考えてみると、三毛と玉との場合にもおもな差別はやはり性の相違ばかりでは・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・子規常用の唐紙に朱罫を劃した二十四字十八行詰の原稿紙いっぱいにかいたものである。紙の左上から右辺の中ほどまで二条の並行曲線が引いてあるのが上野の麓を通る鉄道線路を示している。その線路の右端の下方、すなわち紙の右下隅に鶯横町の彎曲した道があっ・・・ 寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
出典:青空文庫