・・・「信心気でございますかな。商売気でございますかな。」 翁は、眦に皺をよせて笑った。捏ねていた土が、壺の形になったので、やっと気が楽になったと云う調子である。「神仏の御考えなどと申すものは、貴方がたくらいのお年では、中々わからない・・・ 芥川竜之介 「運」
・・・その頃椿岳はモウ世間の名利を思切った顔をしていたが、油会所の手代時代の算盤気分がマダ抜けなかったと見えて、世間を驚かしてやろうという道楽五分に慾得五分の算盤玉を弾き込んで一と山当てるツモリの商売気が十分あった。その頃どこかの気紛れの外国人が・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・祖父は商売気があって、いろ/\なことに手を出して儲けようとしたらしいが、勿論、地主などに成れっこはなかった。 親爺は、十三歳の時から一人前に働いて、一生を働き通して来た。学問もなければ、頭もない。が、それでも、百姓の生活が現在のまゝでは・・・ 黒島伝治 「小豆島」
・・・宿の者も心安くなってみれば商売気離れた親切もあって嬉しい。雨が降って浜へも出られぬ夜は、帳場の茶話に呼ばれて、時には宿泊人届の一枚も手伝ってやる事もある。宿の主人は六十余りの女であった。昼は大抵沖へ釣りに出るので、店の事は料理人兼番頭の辰さ・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・辰之助の言うとおり、現在別に世帯をもっているおひろの妹と、他国へ出て師匠をしているお絹の次ぎの妹と、すべてで四人もの娘がありながら、家を人手に渡さねばならなかったほど、彼女たちの母子は、揃いも揃って商売気がなかった。「いいわいね、お金が・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 三四十円のものを五十円で手を打ちましょうと云うのは、非常に商売気をはなれたこってす。 それでおいやだったら御ことわりです。 これだけ云って政は、煙草をスパスパふかして一言も口を開かない。 五十円などとはあまりの踏みつけ・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ また、先頃フィリッピンのバシラン島附近で高麗鶯の新種を発見して博物学界に貢献した、博物採集を仕事としている山村八重子さんの自分の仕事に対する愛情は、すべての事情からいわゆる商売気は離れています。彼女には商売気を必要としない生活の好条件・・・ 宮本百合子 「現実の道」
・・・筆者の態度が大体極めて粗笨であり、一時的であり、編輯された動機は商売気でも、何等かの意味で日本女性の一九二六年代のグリムプスといえる。その点、私は案外な興味を感じ、これを読んだ多くの書かざる女性、云わざる女性がどんな印象、反省を得たかひどく・・・ 宮本百合子 「是は現実的な感想」
出典:青空文庫