・・・御糺明の喇叭さえ響き渡れば、「おん主、大いなる御威光、大いなる御威勢を以て天下り給い、土埃になりたる人々の色身を、もとの霊魂に併せてよみ返し給い、善人は天上の快楽を受け、また悪人は天狗と共に、地獄に堕ち」る事を信じている。殊に「御言葉の御聖・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・平家は高平太以下皆悪人、こちらは大納言以下皆善人、――康頼はこう思うている。そのうぬ惚れがためにならぬ。またさっきも云うた通り、我々凡夫は誰も彼も、皆高平太と同様なのじゃ。が、康頼の腹を立てるのが好いか、少将のため息をするのが好いか、どちら・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・「将軍は善人だ。」――中佐は軽い侮蔑の中に、明るい好意をも感じ出した。 その時幕は悠々と、盛んな喝采を浴びながら、舞台の前に引かれて行った。穂積中佐はその機会に、ひとり椅子から立ち上ると、会場の外へ歩み去った。 三十分の後、中佐は紙・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・「妙に人間離れをしているかと思えば、人間的欲望もずいぶん烈しいし、……」「善人かと思えば、悪人でもあるしさ」「いや、善悪と云うよりも何かもっと反対なものが、……」「じゃ大人の中に子供もあるのだろう」「そうでもない。僕には・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・とて、無色無形の実体にて、間に髪を入れず、天地いつくにも充満して在ませども、別して威光を顕し善人に楽を与え玉わんために「はらいそ」とて極楽世界を諸天の上に作り玉う。その始人間よりも前に、安助とて無量無数の天人を造り、いまだ尊体を顕し玉わず。・・・ 芥川竜之介 「るしへる」
・・・ けれど、その実吉新の主の新造というのは、そんな悪でもなければ善人でもない平凡な商人で、わずかの間にそうして店をし出したのも、単に資本が充分なという点と、それに連れてよそよりは代物をよく値を安くしたからに過ぎぬので、親父は新五郎といって・・・ 小栗風葉 「深川女房」
・・・が黄鼠のような目を輝らせて杉の杜の陰からにらんだところを今少し詳しく言えば、 豊吉は善人である、また才もある、しかし根がない、いや根も随分あるが、どこかに影の薄いような気味があって、そのすることが物の急所にあたらない。また力いっぱいに打・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・ このひとり者が翁の不遇の原因をなしたのか、不遇がひとり者の原因であったのか、これをわかつことはできない。 善人で、酒もしいては飲まず、これという道楽もなく、出入交際の人々には義理を堅くしていて、そしてついに不遇で、いつもまごまごし・・・ 国木田独歩 「二老人」
・・・「赤い衣服ア善人だから被せられるんだ。そんなケチなのとアちと違うんだが、おれが強盗になりゃ汝はどうする。「厭だよ、そんな下らないことを云っては、お隣家だって聞いてるヨ。「隣家で聞いたって巡査が聞いたって、談話だイ、構うもんか、オ・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・……しかし大すじのことが哀れや分って居らぬ、致方無い、教えの足らぬ世で、忠義の者が忠義でないことをして、忠義と思うて死んで行く。善人と善人とが生命を棄てあって、世を乱している。エーッ忌々しい。」 全然二人の予期した返答は無かったが、ここ・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
出典:青空文庫