・・・ 赤帽の言葉を善意に解するにつけても、いやしくも中山高帽を冠って、外套も服も身に添った、洋行がえりの大学教授が、端近へ押出して、その際じたばたすべきではあるまい。 宗吉は――煙草は喫まないが――その火鉢の傍へ引籠ろうとして、靴を返し・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・最も善意に解釈して呉れる人さえが打つ飲む買うの三道楽と同列に見て、我々文学に親む青年は、『文学も好いが先ず一本立ちに飯が喰えるようになってからの道楽だ』と意見されたものだ。夫が今日では大学でも純粋文学を教授し、文部省には文芸審査委員が出来て・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ こうも言って、彼が他人の感情に鈍感で、他人の恩恵を一図に善意にのみ受取っている迂遠さを冷笑した。「ばか正直でずうずうしくなくてはできないことだ」細君は良人の性質をこうも判断した。「ばか言え、お前なぞに何が解る……」彼は平気を装って・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・と軽い言葉だ。善意の奨励だ。赤剥きに剥いて言えば、世間に善意の奨励ほどウソのものは無い。悪意の非難がウソなら、善意の奨励もウソである。真実は意の無いところに在る。若崎は徹底してオダテとモッコには乗りたくないと平常思っている。客のこの言葉・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・案内者が善意であるだけにいっそう困るわけである。この種の案内者はその専門の領域が狭ければ狭いほど多いように見えるが、これは無理もない事である。自分の「お山」以外のものは皆つまらなく見えるからである。 一方で案内者のほうから言うと、その率・・・ 寺田寅彦 「案内者」
・・・どうもはなはだふに落ちない不都合な話だと思ったのであったが、しかし翻ってこれを善意に解釈してみると、やはり役人たちがめいめい思い思いの赤誠の自我を無理押しし合ったのでは役所という有機的な機関が円滑に運転しないから困るという意味であるらしい。・・・ 寺田寅彦 「「手首」の問題」
・・・その善意的なるもまた多とすべきである。あるにもかかわらず学生は迷惑である。当該課目における智識が欠乏するためではない、当該課目以外の智識が全然欠乏しているからである。ただ欠乏しているからではない。その結果としていらぬところまでのさばり出て、・・・ 夏目漱石 「作物の批評」
・・・という献辞のついたこの旅行記は、日本語に翻訳されている部分だけでも、ふかい感興をうごかされ、エヴの公平な理解力と人間としての善意にうたれる。 エリカ・マンの各国巡業、エヴの戦時中の旅行。それらはどれもすべて、民主主義と、平和と、民族自立・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・現実の社会悪ととりくんで、悪の中から一つ一つと、社会と人間のよりよい変革のための方向をひき出してゆく、善意の実感の美しい生きた力を欠いていることの証拠です。これは古風な正義派の感覚ではありません。 一般の人々が、毎日の生活の中にこれほど・・・ 宮本百合子 「新しい抵抗について」
・・・あれをよむと、おそろしいような生々しさで、子供だったゴーリキイの生きていた環境の野蛮さ、暗さ、人間の善意や精力の限りない浪費が描かれている。その煙の立つような生存の渦のなかで、小さいゴーリキイは、自分のまわりにどんな一冊の絵本ももたなかった・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
出典:青空文庫