・・・社会の発展の過程にあらわれる善と悪とは馬琴の勧善懲悪小説の善玉、悪玉であらわされるよりはるかに動的で互の関係のうちに質の変化を経験してゆくものである。そこにわれわれの実践と客観的な観察と批判が必要となって来る。 言論の自由を奪うというこ・・・ 宮本百合子 「地球はまわる」
・・・一九二九年から三一年頃までの間に、ソヴェトの文学では過去の単純に英雄化された人間の描写を発展させるべき方向として、人間を描けということが言われた。善玉悪玉でない生きた人間を描けということであったが、ソヴェトに於てもこのことは一部の作家に曲解・・・ 宮本百合子 「ヒューマニズムへの道」
・・・コンムニストでも決して善玉揃いではない。「何しろ沢山の党員だし、古い歴史をもった党だからタマには蛆虫も湧くんさ。南京虫はどこにでもいる。」 コンムニストが善玉揃いでないということはその限りにおいて真実だ。しかし、この少くとも第一部には、・・・ 宮本百合子 「プロレタリア文学における国際的主題について」
・・・どの国で書かれた本にしろ多くの物語風の書物の中には、善玉、悪玉があってそれが勧善懲悪的な筋で終りを結ばれている。が、ゴーリキイが実際の民衆生活の中で自分の体で経験しつつある人間は、そういう善玉・悪玉のどれにもあてはまらない。例えば書物はよく・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・ 文学が、神或は馬琴流の善玉悪玉の通念に対して、一般人間性を主張した時代は、日本でも逍遙の「小説神髄」以来のことである。私たちのきょうの生活感情はそこから相当に遠く歩み出して来ている。「主従は三世」と云って、夫婦は二世、親子は一世と当時・・・ 宮本百合子 「夜叉のなげき」
出典:青空文庫