・・・とその黒衣の男は、不思議な嗄れたる声で言って、「呉王さまのお言いつけだ。そんなに人の世がいやになって、からすの生涯がうらやましかったら、ちょうどよい。いま黒衣隊が一卒欠けているから、それの補充にお前を採用してあげるというお言葉だ。早くこの黒・・・ 太宰治 「竹青」
・・・と、と言って、私は飛鳥の如く奥の部屋に引返し、ぎょろりと凄くあたりを見廻し、矢庭にお膳の寒雀二羽を掴んでふところにねじ込み、それからゆっくり玄関へ出て行って、「わすれもの。」と嗄れた声で嘘を言った。 お篠はお高祖頭巾をかぶって、おと・・・ 太宰治 「チャンス」
・・・のどに痰がからまっていたので、奇怪に嗄れた返辞であった。五百人はおろか、十人に聞えたかどうか、とにかく意気のあがらぬ返事であった。何かの間違い、と思ったが、また考え直してみると、事実無根というわけでもない。私はからだが悪くて丙の部類なのだが・・・ 太宰治 「鉄面皮」
・・・と暴君は、嗄れた声で低く笑った。「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか。」「そうです。帰って来るのです。」メロスは必死で言い張った。「私は約束を守ります。私を、三日間だけ許して下さい。妹が、私の帰りを待っているの・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・という先生のひどく狼狽したような嗄れた御返辞が聞えた。「なぜですか。」「いま、そっちへお茶を持って行く。」そうしてまた一段と声を大きくして、「襖をあけちゃ、駄目だぞ!」「でも、なんだか唸っていらっしゃるじゃありませんか。」私は襖・・・ 太宰治 「不審庵」
・・・そしてしゃ嗄れた、胸につまったような声で、何事かしきりに云っているのであった。顔いっぱいに暑い日が当って汚れた額の創のまわりには玉のような汗が湧いていた。 よく聞いてみるとある会社の職工であったが機械に喰い込まれて怪我をしたというのであ・・・ 寺田寅彦 「小さな出来事」
・・・ふみ江は嗄れたような声でぐずっている子供をすかしながら答えた。 ふみ江の良人の家は在方であったが、学校へ通っている良人の青木は、町に下宿していたけれど、ふみ江は青木の親たちの方にいることになっていた。「子供はどうなんだ。脚が悪いそう・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・すると始めは極く低い皺嗄れた声が次第次第に専門的な雄弁に代って行く。「……あれえッという女の悲鳴。こなたは三本木の松五郎、賭場の帰りの一杯機嫌、真暗な松並木をぶらぶらとやって参ります……」 話が興味の中心に近いて来ると、いつでも爺さ・・・ 永井荷風 「伝通院」
・・・ あらゆる監房からは、元気のいい声や、既に嗄れた声や、中にはまったく泣声でもって、常人が監獄以外では聞くことのできない感じを、声の爆弾として打ち放った。 これ等の声の雑踏の中に、赤煉瓦を越えて向うの側から、一つの演説が始められた。・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・否応なく読ませられることから胸のわるくなるような思いのするその本を眺めまわしていると、スムールイは、嗄れ声で皿洗い小僧に催促した。「お――、読みな」 スムールイの黒トランクの中には『ホーマー教訓集』『砲兵雑記』『セデンガリ卿の書翰集・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
出典:青空文庫