・・・しかし青年の顔はやはり心配げな、嘆願するような表情を改めない。その目からは、老人の手の上に涙がほろりと落ちて来た。老人は始めて青年の心が分かって自分も目が覚めた。老人は屈めた項を反らした。そして青年を見くびったような顔をして、口に排斥するよ・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・噂に依れば、このごろ又々、借銭の悪癖萌え出で、一面識なき名士などにまで、借銭の御申込、しかも犬の如き哀訴歎願、おまけに断絶を食い、てんとして恥じず、借銭どこが悪い、お約束の如くに他日返却すれば、向うさまへも、ごめいわくは無し、こちらも一命た・・・ 太宰治 「帰去来」
・・・噂に依れば、このごろ又々、借銭の悪癖萌え出で、一面識なき名士などにまで、借銭の御申込、しかも犬の如き哀訴嘆願、おまけに断絶を食い、てんとして恥じず、借銭どこが悪い、お約束の如くに他日返却すれば、向うさまへも、ごめいわくなし、こちらも一命たす・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・家内は、歎願の口調になった。「濡れないように風呂敷にお包みになって持っていらっしゃったら? 向うに着いてから、おはきになればいい。」「そうしよう。」私は、あきらめた。 風呂敷に、足袋と、セルの袴とを包んでもらって、尻はしょりし、雨の・・・ 太宰治 「善蔵を思う」
・・・母はまず勝治に、その無思慮な希望を放棄してくれるように歎願した。頑として聞かない。チベットへ行くのは僕の年来の理想であって、中学時代に学業よりも主として身体の鍛錬に努めて来たのも実はこのチベット行のためにそなえていたのだ、人間は自分の最高と・・・ 太宰治 「花火」
・・・そう云って歎願しているが、さっきの人達はもう行ってしまって、それに代る助力者も急には出て来なかった。 馬はと見ると電柱につながれてじっとして立っていた。すぐその前に水を入れた飼葉槽が置いてあるが、中の水は真黄色な泥水である。こんなきたな・・・ 寺田寅彦 「断片(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
・・・この催眠薬を買って来いというので、一度買って帰ったが、もっとたくさん買って来いという、そんなに飲んだら悪いだろうと言ってみたが、これがないと、どうしても眠られない、飲まないと気が違いそうだからぜひにと嘆願するので、しかたなくもう一ぺん薬屋に・・・ 寺田寅彦 「B教授の死」
・・・とわたしもともども歎願した。 しかし『通鑑綱目』は二人がそれから半時間あまりも口を揃えて番頭を攻めつけたにかかわらず、結局わずか五拾銭値上げをされたに過ぎなかった。「これっぱかりじゃ、どうにもならない。」「これじゃ新宿へ行っても・・・ 永井荷風 「梅雨晴」
・・・、と心細いこと限りなし、ああ吾事休矣いくらしがみついても車は半輪転もしないああ吾事休矣としきりに感投詞を繰り返して暗に助勢を嘆願する、かくあらんとは兼て期したる監督官なれば、近く進んでさあ、僕がしっかり抑えているから乗りたまえ、おっとそう真・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
・・・それに俺に食ってかかったって、仕方がないじゃないか、な、ちゃんと嘆願さえすれば、船長だって涙金位寄越さないものでもないんだ。それを、お前が無茶云うから、船長だって憤るんだ」 セコンドメイトは、栗のきんとん見たいな調子で云った。 その・・・ 葉山嘉樹 「浚渫船」
出典:青空文庫