・・・という声は嘲るごとし。 女は答えざりき。渠はこの一冷語のためにいたく苦痛を感じたる状見えつ。 老人はさこそあらめと思える見得にて、「どうだ、うらやましかったろう。おい、お香、おれが今夜彼家の婚礼の席へおまえを連れて行った主意を知・・・ 泉鏡花 「夜行巡査」
・・・と岡本は嘲るような、真面目な風で言った。「だから馬鈴薯には懲々しましたというんです。何でも今は実際主義で、金が取れて美味いものが喰えて、こうやって諸君と煖炉にあたって酒を飲んで、勝手な熱を吹き合う、腹が減たら牛肉を食う……」「ヒヤヒ・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・この二人が差向いにて夕餉につく様こそ見たけれなど滑稽芝居見まほしき心にて嘲る者もありき。近ごろはあるかなきかに思われし源叔父またもや人の噂にのぼるようになりつ。 雪の夜より七日余り経ちぬ。夕日影あざやかに照り四国地遠く波の上に浮かびて見・・・ 国木田独歩 「源おじ」
・・・これを嘲る悪魔の声も聞えるような気がする。何処の深山から出て何処の幽谷に消え去るとも知れぬこの破壊の神は、あたかもその主宰者たる「時」の仕事をもどかしがっているかのように、あらゆるものを乾枯させ粉砕せんとあせっている。 火鉢には一塊の炭・・・ 寺田寅彦 「凩」
・・・急いで朝飯かき込み岡崎氏と停車場に馳けつくれば用捨気もなき汽車進行を始めて吐き出す煙の音乗り遅れし吾等を嘲るがごとし。珍しき事にもあらねど忌々しきものなり。先ず荷物を預けんとて二人のを一緒に衡らす。運賃弐円とは馬鹿々々しけれど致し方もなし。・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・植半の屋根に止れる鳶二羽相対してさながら瓦にて造れるようなるを瓦じゃ鳥じゃと云ううち左なる一羽嘲るがごとく此方を向きたるに皆々どっと笑う。道傍に並ぶ柱燈人造麝香の広告なりと聞きてはますます嬉しからず。渡頭に下り立ちて船に上る。千住よりの小蒸・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・と平かならぬ人のならい、ウィリアムは嘲る様に話の糸を切る。「まあ水を指さずに聴け。うそでも興があろう」と相手は切れた糸を接ぐ。「試合の催しがあると、シミニアンの太守が二十四頭の白牛を駆って埒の内を奇麗に地ならしする。ならした後へ三万・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・未来の世まで反語を伝えて泡沫の身を嘲る人のなす事と思う。余は死ぬ時に辞世も作るまい。死んだ後は墓碑も建ててもらうまい。肉は焼き骨は粉にして西風の強く吹く日大空に向って撒き散らしてもらおうなどといらざる取越苦労をする。 題辞の書体は固より・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ 宇平の口角には微かな、嘲るような微笑が閃いた。「おじさん。あなたは神や仏が本当に助けてくれるものだと思っていますか」 九郎右衛門は物に動ぜぬ男なのに、これを聞いた時には一種の気味悪さを感じた。「うん。それは分からん。分からんのが神・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
・・・唯彼猿はそのむかしを忘れずして、猶亜米利加の山に栖める妻の許へふみおくりしなどいと殊勝に見ゆる節もありしが、この男はおなじ郷の人をも夷の如くいいなして嘲るぞかたはら痛き。少女の挽物細工など籠に入れて売りに来るあり。このお辰まだ十二三なれば、・・・ 森鴎外 「みちの記」
出典:青空文庫