・・・およそ弁論の雄というは無用の饒舌を弄する謂ではない、鴎外は無用の雑談冗弁をこそ好まないが、かつてザクセンの建築学会で日本家屋論を講演した事がある、邦人にして独逸語を以て独逸人の前で演説したのは余を以て嚆矢とすというような論鋒で、一々『国民新・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・これが大正十年、肺病全快広告としてあらわれた写真の嚆矢である。 ついで、彼は全国の支店、直営店へ、肺病相談所の看板を揚げさせると同時に、全快写真を提供した支店、直営店に対しては、美人一人あたり二百円、多数の医師に治療を受けたる者二百円、・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・それはかの通俗小説の作家として今では最う忘れられようとしている Paul de Kock を以て嚆矢と見做さなければならぬ。ポオル・ド・コックは何も郊外の風景その物を写生する目的ではないが、今から五、六十年前 Louis-Philippe ・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・如何となれば巴里風のカッフェーが東京市中に開かれたのは実に松山画伯の AU PRINTEMPS を以て嚆矢となすが故である。当時都下に洋酒と洋食とを鬻ぐ店舗はいくらもあった。又カウンターに倚りかかって火酒を立飲する亜米利加風の飲食店も浅草公・・・ 永井荷風 「申訳」
出典:青空文庫