・・・ 幽霊などを見る者は迷信に囚われて居るからである。ではなぜ迷信に捉われているのか? 幽霊などを見るからである。こう云う今人の論法は勿論所謂循環論法に過ぎない。 況や更にこみ入った問題は全然信念の上に立脚している。我々は理性に耳を借さない・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・つまりおとよさんの恋の手に囚われてしまっているのだから、省作が一人であがいた分には、いくらあがいたってなんにもならないのだ。この事件は省作の心だけではどうすることもできないのだ。 五 それから後のおとよさんは片思いの・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・ドストエフスキーの『罪と罰』の如きは露国の最大文学であるを確認しつつもなお、ドストエフスキーの文章はカラ下手くそで全で成っていないといってツルゲーネフの次位に置き、文学上の批判がともすれば文章の好悪に囚われていた。例えば現時の文学に対しても・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・僕はこの真面目と云うことは即ち自分が形式に囚われないと云うことであろうと思う。何者にも囚われないで自然人生を見ると云う気持、沁み/″\と感ずる気持が、真のシンセリティの気持である。 かくて始めて風の音を聴いても、音楽を聴いても、他のあら・・・ 小川未明 「動く絵と新しき夢幻」
・・・ 作家は、何ものにも囚われてはなりません。もし、囚われた時は、自由人でありません。さなきだに、今の作家は容易に自由人たることを許されていない。芸術家が、精神の自由を得なかった時は、もう死んだも同じようなものです。 この故に、芸術家た・・・ 小川未明 「作家としての問題」
・・・そして、旧習慣、常套、俗悪なる形式作法に囚われなければならぬのか。 塵埃に塗れた、草や、木が、風雨を恋うるように、生活に疲れた人々は、清新な生命の泉に渇するのであります。詩の使命を知るものは、童話が、いかに、この人生に重大な位置にあるか・・・ 小川未明 「『小さな草と太陽』序」
・・・ためからも、こうした怪しげな文筆など棄てて、ああした不幸な青年たちに直接に、自分として持ってきたすべてを捧げたい――そうしたところに自分の救いの道があるのではあるまいか、などと、いつものアル中的空想に囚われたりしたが、結局自分はその晩の光景・・・ 葛西善蔵 「死児を産む」
・・・すが、鎌倉から東京へ帰り、間もなく帰郷して例の関係事業に努力を傾注したのでしたが、慣れぬ商法の失敗がちで、つい情にひかされやすい私の性格から、ついにある犯罪を構成するような結果に立到り、表記の未決監に囚われの身となりおります次第、真に面目次・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・ファラデーが action at a distance を無視したのでも、アインスタインが時と空間に関する伝習的の考えを根本から引っくり返して相対率原理の基礎を置いたのでも、いずれにしても伝習の権威に囚われない偉人の旋毛曲りに外ならないので・・・ 寺田寅彦 「科学上における権威の価値と弊害」
・・・学校を出てから、東京へ出て、時代の新しい空気に触れることを希望していながら、固定的な義姉の愛に囚われて、今のような家庭の主婦となったことについては、彼女自身ははっきり意識していないにしても、私の感じえたところから言えば、多少枉屈的な運命の悲・・・ 徳田秋声 「蒼白い月」
出典:青空文庫