・・・もう一歩進んで姓名の代りに囚人のように三一六五八九二四といったような番号をつけるのも最合理的な一方法であるかもしれないが、そうなるのはやはり悲しい。 寺田寅彦 「KからQまで」
・・・同時にばたばたと飛び立った胸黒はちょうど真上に覆いかかった網の真唯中に衝突した、と思うともう網と一緒にばさりと刈田の上に落ちかかって、哀れな罪なき囚人はもはや絶体絶命の無効な努力で羽搏いているのである。飛ぶがごとく駈け寄った要太の一と捻りに・・・ 寺田寅彦 「鴫突き」
・・・星黒き夜、壁上を歩む哨兵の隙を見て、逃れ出ずる囚人の、逆しまに落す松明の影より闇に消ゆるときも塔上の鐘を鳴らす。心傲れる市民の、君の政非なりとて蟻のごとく塔下に押し寄せて犇めき騒ぐときもまた塔上の鐘を鳴らす。塔上の鐘は事あれば必ず鳴らす。あ・・・ 夏目漱石 「倫敦塔」
・・・ 日本では、囚人や社会主義者、無政府主義者を、地震に委せるんだね。地震で時の流れを押し止めるんだ。 ジャッガーノート! 赤ん坊の手を捻るのは、造作もねえこった。お前は一人前の大人だ。な、おまけに高利で貸した血の出るような金で、食・・・ 葉山嘉樹 「牢獄の半日」
・・・婦人の外出に付き家事の都合を夫に相談するは当然なれども、婦人の身にも戸外の用事あり、其用事に差掛りても夫の許を得ざれば外出は叶わずと云うか、一家の主婦は監獄の囚人に異ならず。又私に人に饋ものす可らずと言う。家事を司どる婦人には自から財産使用・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・さもなくて、どうして「音楽に聴き入る囚人たち」のこのような内心のむき出されている恍惚の顔つき肩つき、「歎願者」の老婆の、あの哀訴にみちた瞳の光りが描けたろう。 ケーテのスケッチに充ちている偽りなさと生活の香の色の濃厚さは、私たちにゴーリ・・・ 宮本百合子 「ケーテ・コルヴィッツの画業」
逃げて行く子供達と、そしてそれをとりまく環境と両方に問題があると思います。裸にしておけば逃げないという考え方は、死なないように牢獄内の囚人に帯をさせないという事と同じ事です。このことをつきつめたら喰わせずにおいて足腰たたな・・・ 宮本百合子 「これでは囚人扱い」
・・・農園刑務所だからね、囚人たちでつくっているんだ」「あなたなんか和裁工でも、じゃがいもぐらいは、たっぷりあがれたの?」「東京よりはよかったさ。――巣鴨のおしまい頃はひどかったなあ……これっぽっちの飯なんだから。二くち三くちで、もう終り・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・追放や苦役に決った囚人がそこに入れられて輸送されているのであった。舳先に歩哨の銃剣が燭火のように光っている。艀舟の中は静寂で月の光が豊かに濯いでいる。ゴーリキイは、昼間の疲れと景色の美しさに恍惚としつつ思うのであった。「善良な人間になりたい・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの伝記」
・・・、息苦しい室内に集って真理を擁護しながら議論をわき立たせるこれら一団の人々が、よりよい人間の生活の招来のために献身していること、彼等の言葉の中には彼の無言の思いも響いていることを感じ、自由を約束された囚人のような狂喜でこれらの人々に対したの・・・ 宮本百合子 「マクシム・ゴーリキイの発展の特質」
出典:青空文庫