・・・五 四月も暮れ、五月も経って行った。彼は相変らず薄暗い書斎に閉籠って亡霊の妄想に耽っていたが、いつまでしてもその亡霊は紙に現れてこなかった。 ある日雨漏りの修繕に、村の知合の男を一日雇ってきた。彼は二間ほどもない梯子を登・・・ 葛西善蔵 「贋物」
・・・この四月から私達に一年後れて東京に来た友でした。友は東京を不快がりました。そして京都のよかったことを云い云いしました。私にも少くともその気持に似た経験はありました。またやって来た々直ぐ東京が好きになるような人は不愉快です。然し私は友の言葉に・・・ 梶井基次郎 「橡の花」
・・・ 第三報、四月二十八日午後三時五分発、同月同日午後九時二十五分着。敵は靉河右岸に沿い九連城以北に工事を継続しつつあり、二十八日も時々砲撃しつつあり、二十六日九里島対岸においてたおれたる敵の馬匹九十五頭、ほかに生馬六頭を得たり――「ど・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・ 三 遍歴と立宗 十二歳にして救世の知恵を求めて清澄山に登った日蓮は、諸山遍歴の後、三十二歳の四月再び清澄山に帰って立教開宗を宣するまで、二十年間をひたすら疑団の解決のために思索し、研学したのであった。 はじめ清・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 毎年二月半ばから四月五月にかけて但馬、美作、備前、讃岐あたりから多くの遍路がくる。菅笠をかむり、杖をつき、お札ばさみを頸から前にかけ、リンを鳴らして、南無大師遍照金剛を口ずさみながら霊場から霊場をめぐりあるく。 この島四国めぐりは・・・ 黒島伝治 「海賊と遍路」
・・・伐のためのみの出先の小勢、ほかに援兵無ければ、先ず公方をば筒井へ落しまいらせ、十三歳の若君尚慶殿ともあるものを、卑しき桂の遊女の風情に粧いて、平の三郎御供申し、大和の奥郡へ落し申したる心外さ、口惜さ。四月九日の夜に至って、人々最後の御盃、御・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・ 四月にはいって、私は郷里のほうに太郎の新しい家を見に行く心じたくを始めていた。いよいよ次郎も私の勧めをいれ、都会を去ろうとする決心がついたので、この子を郷里へ送る前に、私は一足先に出かけて行って来たいと思った。留守中のことは次郎に・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・〔明治四十五年二月二十二日、漢學研究會の講演、明治四十五年四月『東亞研究』第二卷第四號〕 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・ そのとしの、四月ごろから、兄は異常の情熱を以て、制作を開始いたしました。モデルを家に呼んで、大きいトルソオに取りかかった様子でありました。私は、兄の仕事の邪魔をしたくないので、そのころは、あまり兄の家を訪ねませんでした。いつか夜、ちょ・・・ 太宰治 「兄たち」
・・・すなわち「濃州では四月から七月までで、別して五六月が多いという。七月になりかかると、秋風が立ち初める、とギバの難は影を隠してしまう。武州常州あたりでもやはり四月から七月と言っている」。また晴天には現われず「晴れては曇り曇っては晴れる、村雲な・・・ 寺田寅彦 「怪異考」
出典:青空文庫