・・・春三月 発芽を待つ草木と二十五歳、運命の隠密な歩調を知ろうとする私とは双手を開き空を仰いで意味ある天の養液を四肢 心身に 普く浴びようとするのだ。 二月十六日 ・・・ 宮本百合子 「海辺小曲(一九二三年二月――)」
・・・ 転ぶまい、車にぶつかるまい、帽子を飛ばすまい、栄蔵の体全体の注意は、四肢に分たれて、何を考える余裕もなく、只歩くと云う事ばかりを専心にして居た。 肩や帽子に、白く砂をためて家に帰りつくと、手の切れる様な水で、パシャパシャと顔や手足・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ 何物を以ても抗し得ぬ時代の潮に今日も明日もとただよいながら、しばしば私に迫り、ややもすれば私の四肢を、心臓をまひさせ様とした力強い潮流の一つを見出した。 深い紺碧をたたえてとうとうとはて知らず流れ行く其の潮は、水底の数知れぬ小石の・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・ 民主的批評は、たしかに、新しくてしなやかに若い四肢をもとうとしている。多面的であろうとしている。しかし、それがたやすい仕事でないことは、たとえば『新日本文学』六月号瀬沼茂樹の作品評に示されていたと思う。瀬沼茂樹は去年の末、批評の無力論・・・ 宮本百合子 「現代文学の広場」
・・・ 彼女等は、思いのままに延びた美くしい四肢の所有者であり、朗らかな六月の微風に麗わしい髪を吹きなびかせながら哄笑する心の所有者でございます。 広大な地と、高燥な軽い空気は、自ずと住む人間の心を快活に致します。のみならず、婦人に向って・・・ 宮本百合子 「C先生への手紙」
・・・然し、完全な四肢を与えられた者が、自分で自分の足の始末も出来ないでどうしましょう。又、そこまで身を曲げることも出来ないように高く堅いコーセットを胸に巻きつける必要が何処にありましょう。若い、健康な胸は、そのままで美しいのです。恐らく、彼女等・・・ 宮本百合子 「男女交際より家庭生活へ」
・・・ 三つ折にしたコートの中に手を入れて彼女は、しゃんと体を保って居ようとしたが、四肢の隅々から、ぐんぐんとさしのぼって来る心のゆるみにともなった訳の分らないたよりなさが、いつの間にか、グッタリと、頭を下げさせてしまった。列車がこんで次の部・・・ 宮本百合子 「「禰宜様宮田」創作メモ」
・・・そうして、首を切られた後にも、その胴体と四肢とは少しも傷つくことなく、双の乳房をもって太子を哺んだ。この后の苦難と、首なき母親の哺育ということが、この物語のヤマなのである。王子は四歳まで育って、母后の兄である祇園精舎の聖人の手に渡り、七歳の・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
・・・このことは四肢の無雑作な取り扱い方によく現われている。両足は無視されるのが通例であり、両腕も、この人物が何かを持っているとか、あるいは踊っているのだとか、ということを示すためだけに付けられるのであって、肩や腕を写実的に表現しようなどという意・・・ 和辻哲郎 「人物埴輪の眼」
・・・我々は四肢胴体が欠けているなどということを全然感じないで、そこにその人全体を見るのである。しかるに顔を切り離したトルソーになると、我々はそこに美しい自然の表現を見いだすのであって、決して「人」の表現を見はしない。もっとも芸術家が初めからこの・・・ 和辻哲郎 「面とペルソナ」
出典:青空文庫