・・・今の若さで東京が恋しくないのは、男の癖に因循な証拠ですよ。生意気いうようだけど、柏崎に居ったって東京を忘れられては困るわね矢代さん。そうですとも僕は令妹の御考えに大賛成だ。 こんな調子で余は岡村に、君の資格を以てして今から退隠的態度をと・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・なんという倦怠、なんという因循だろう。私の病鬱は、おそらく他所の部屋には棲んでいない冬の蠅をさえ棲ませているではないか。いつになったらいったいこうしたことに鳧がつくのか。 心がそんなことにひっかかると私はいつも不眠を殃いされた。眠れなく・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・ 二十八日、少許の金と福島までの馬車券とを得ければ、因循日を費さんよりは苦しくとも出発せんと馬車にて仙台を立ち、日なお暮れざるに福島に着きぬ。途中白石の町は往時民家の二階立てを禁じありしとかにて、うち見たるところ今なお巍然たる家無し。片・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
昨日は失敬。こう続けざまに芝居を見るのは私の生涯において未曾有の珍象ですが、私が、私に固有な因循極まる在来の軌道をぐれ出して、ちょっとでも陽気な御交際をするのは全くあなたのせいですよ。それにも飽き足らず、この上相撲へ連れて・・・ 夏目漱石 「虚子君へ」
・・・(事は文久三癸亥 この事情に従て維新の際に至り、ますます下士族の権力を逞うすることあらば、或は人物を黜陟し或は禄制を変革し、なお甚しきは所謂要路の因循吏を殺して、当時流行の青面書生が家老参事の地位を占めて得々たるがごとき奇談をも出現すべ・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・その忠告者をば内心に軽侮し、因循姑息の頑物なりとてただ冷笑したるのみのことならん。 されば我々年少なりといえども、二十年前の君の齢にひとし。我々の挙動、軽躁なりというも、二十年前の君に比すれば、深く譴責を蒙るの理なし。ただし、君は旧幕府・・・ 福沢諭吉 「徳育如何」
・・・「いつも文学を文壇の習慣と結びつけなければ棲息出来ぬ因循さが、自然主義以来牢固として脱けず、テーマがあってもモチーフがなければ仕事は出来ぬという完成にまで達するに到った。」そして横光氏は、彼によって何ものかである如く示される自意識の整理の要・・・ 宮本百合子 「作家に語りかける言葉」
・・・ 一緒にそういう稽古事もすることで、生活の一層多様な面が互に働いている女性としての共通な感情で結ばれて、日本の女性につきものであった因循さも失われ、初歩的な下手なところから明るく臆せず皆でたのしむという気分がゆたかにされる。稽古事やスポ・・・ 宮本百合子 「働く婦人の歌声」
・・・したがって不徹底、因循に見える。大将はそれを不満足に感ずる。そのすきにつけ込んで、野心のある侍が、大将の機に合うような強硬意見を持ち出すと、大将はただちに乗ってくる。野心家はますますそれを煽り立てて行く。その結果、大将は、智謀を軽んじ、武勇・・・ 和辻哲郎 「埋もれた日本」
出典:青空文庫