・・・――宵に受持の女中に聞くと、ひきつづき二十日余りの間団体観光の客が立てつけて毎日百人近く込合ったそうである。そこへ女中がやっと四人ぐらいだから、もし昨日にもおいでだと、どんなにお気の毒であったか知れない。すっかり潮のように引いたあとで、今日・・・ 泉鏡花 「鷭狩」
・・・文学が閑余の遊戯として見られていたばかりでなく、倫理も哲学も学者という小団体の書斎に於ける遊戯であった。科学の如きは学校教育の一課目とのみ見られていた。真に少数なる読書階級の一角が政治論に触るゝ外は一般社会は総ての思想と全く没交渉であって、・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
亜米利加の排日案通過が反動団体のヤッキ運動となって、その傍杖が帝国ホテルのダンス場の剣舞隊闖入となった。ダンスに夢中になってる善男善女が刃引の鈍刀に脅かされて、ホテルのダンス場は一時暫らく閉鎖された。今では余熱が冷めてホテルのダンス場・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・ しかし、これはおかしい程売れず、結果、学校、官庁、団体への大量寄贈でお茶を濁すなど、うわべは体裁よかったが、思えば、醜態だったね。だいいち、褒めるより、けなす方が易しいのでんで、文章からして「真相をあばく」の方が、いくらか下品にしろ、・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・過去の文化団体が解散して、新しい文化団体が大阪にも生れかけているが、官僚たる知事を会長にいただくような文化団体がいくつも生れても、非文化的な仕事しか出来ぬであろう。どこを見ても、苦々しいこと許りだ。・・・ 織田作之助 「終戦前後」
・・・細君は店へ顔出しするようなことは一度もなく、主人が儲けて持って帰る金を教会や慈善団体に寄附するのを唯一の仕事にしていた。ほんまに大将は可哀相な人だっせと仲居は言うのだったが、主人の顔には不幸の翳はなかった。 しかし、ある夜――戦争がはじ・・・ 織田作之助 「世相」
・・・われを忘れて仰いでいると、あろうことか、いびきの音がきこえて来た。団体見学の学生が居眠っているのだった。たぶん今は真夜中だと感ちがいしたのだろう。それほど、プラネタリュウムが映しだす夜のリアリティは真に迫っていたのである。・・・ 織田作之助 「星の劇場」
・・・自分はなお奥の方へと彼らの間を縫って往くと、船首水雷室の前に一小区画がある、そこに七、八名の水兵が、他の仲間と離れて一団体をなし、飲んでいた。 わが水兵はいかに酔っていても長官に対する敬礼は忘れない。彼らは自分を見るや一同起立して敬礼を・・・ 国木田独歩 「遺言」
・・・実際それらの教団の中には理論のための理論をもてあそぶソフィスト的学生もあれば、論争が直ちに闘争となるような暴力団体もあり、禅宗のように不立文字を標榜して教学を撥無するものもあれば、念仏の直入を力調して戒行をかえりみないものもあった。 世・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・こゝで、大資本家の団体が、ある原料産地や、市場を独占していたならば、それは非常に強いし利潤も多い。そこで「国際資本団体は夢中になって、敵手から一切の競争能力を奪わんと腐心し、鉄鉱又は油田等を買収せんと努力している。而して、敵手との闘争に於け・・・ 黒島伝治 「反戦文学論」
出典:青空文庫