・・・それには、困苦と闘争が予想されるからだ。芸術の権威は、彼等によって、すでに軟化される。そして、表現されたものは芸術本来の姿ではなくして、畢竟自己の趣味化された技巧の芸術となって、第一義の精神からは、変形された玩賞的芸術に他ならないのだ。・・・ 小川未明 「正に芸術の試煉期」
・・・初甚だしい貧家に生れたので、思うように師を得て学に就くという訳には出来なかったので、田舎の小学を卒ると、やがて自活生活に入って、小学の教師の手伝をしたり、村役場の小役人みたようなことをしたり、いろいろ困苦勤勉の雛型その物の如き月日を送りなが・・・ 幸田露伴 「観画談」
・・・八年間、その間には、往年の呑気な帝国大学生の身の上にも、困苦窮乏の月日ばかりが続きました。八年間、その間に私は、二十も年をとりました。やがて雨さえ降って来て、家内も、母も、妹も、いい町です、落ち附いたいい町です、と口ではほめていながら、やは・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・どく貧乏な大工の家に生れ、気の弱い、小鳥の好きな父と、痩せて色の黒い、聡明な継母との間で、くるしんで育ち、とうとう父母にそむいて故郷から離れ、この東京に出て来て、それから二十年間お話にも何もならぬ程の困苦に喘ぎ続けて来たという事、それも愚痴・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ 同じ辛苦をしながらも、親たちが、いつも明るい愛と勇気と、率直公平な物わかりよさをもって困難をしのいでゆくならば、子供たちは、困苦の中にも伸び伸びとして育つものです。これまでにしろ、誰が金持の子なら必ず立派だと考えていたでしょう。却って・・・ 宮本百合子 「新しい躾」
・・・ 何故なら、新しい歴史的世代がそれぞれの事情の中で、どうしても経て克服してゆかなければならない困苦、艱難の形は、他のより進んだ事情にあるところと比べて見れば、そこではもう過去になっている犠牲、献身、努力の形態をもって現れて来るのである。・・・ 宮本百合子 「「ゴーリキイ伝」の遅延について」
・・・ 同じ題で六月の『新女苑』に過去の生活が書かれている文章もよんで、生活の困苦というものの女のうけた、そこからの高まりかたの女としての特色などについてさまざまの感動をこめて考えさせられた。 この女詩人は生みの母を知らず祖父母に養育され・・・ 宮本百合子 「『静かなる愛』と『諸国の天女』」
・・・即ち社会の「下から、群集に混って困苦と苦闘を経ながら飽くことのない天才の資質とをもって其を眺めた」バルザックが、複雑多岐な形態で各人に作用を及ぼしている社会的モメントをつきつめれば、それは二つのもの、色と慾とであることを観察し、更にこの二つ・・・ 宮本百合子 「バルザックに対する評価」
・・・「過去数世紀に亙ってヨオロッパ人は、どんな困苦にも耐える決心で東洋の宝を――絹や硬玉の財宝や、あるいは哲学の精髄をヨオロッパに持ち帰ろうとしてやって来た。ところが、いままで自分たちの最も誇りとしていた何物かを失わずに獲物だけを得て帰ったもの・・・ 宮本百合子 「「揚子江」」
出典:青空文庫