・・・この権ちゃんが顕われると、外土間に出張った縁台に腰を掛けるのに――市が立つと土足で糶上るのだからと、お町が手巾でよく払いて、縁台に腰を掛けるのだから、じかに七輪の方がいい、そちこち、お八つ時分、薬鑵の湯も沸いていようと、遥な台所口からその権・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・ 日本の習慣では、土足のままで家の中へはいらない。だから、文学も土足のまま人生の中へ踏み込んで行くような作品がない。きちんと下駄をぬぎ、文壇進歩党の代弁者である批評家から、下足札を貰って上るような作品しかない。「ファビアン」や「ユリシー・・・ 織田作之助 「土足のままの文学」
・・・彼は土足のまゝ座敷へ這い上ってランプの灯を大きくした。「何ぞえいことが書いてあるかよ?」おしかは為吉の傍へすりよって訊ねた。「どう云うて来とるぞいの?」 しかし為吉は黙って二度繰りかえして読んだ。笑顔が現われて来なかった。「・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・それはせっかくの神秘なものを浅薄なる唯物論者の土足に踏みにじられるといったような不快を感じるからであるらしい。しかしそれは僻見であり誤解である。いわゆる科学的説明が一通りできたとしても実はその現象の神秘は少しも減じないばかりでな・・・ 寺田寅彦 「化け物の進化」
・・・翌朝出入の鳶の者や、大工の棟梁、警察署からの出張員が来て、父が居間の縁側づたいに土足の跡を検査して行くと、丁度冬の最中、庭一面の霜柱を踏み砕いた足痕で、盗賊は古井戸の後の黒板塀から邸内に忍入ったものと判明した。古井戸の前には見るから汚らしい・・・ 永井荷風 「狐」
・・・ふらつき歩いた土足のまま何と云っても足を洗わない。着物の上にネンネコをひっかけ、断髪にもその着物の裾にも埃あくたをひきずっている。体全体から嘔きたくなるような悪臭がした。弁当を出し入れする戸口のところに突立ったなりどうしても坐らず、グー、グ・・・ 宮本百合子 「刻々」
・・・何かのはじまりという期待と、同時に見当のつかなさもその顔々にあって、それは、玄関口の敷居や階段につけられた土足のあとの一つ一つがまだ目新しい自立会の生活全体の新しさと、全く調和している。 日向をさけて、建物のひさしの下によって佇みながら・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・ 選挙場に土足でふみこむ吉田首相が、首相として泰然自若と首切りにとりかかりはじめたのは、民自党が第一党になったからです。税に苦しめられ、物価高に苦しめられ、やっと子供を教育しようと思っている母親に、今日の新聞の文相高瀬荘太郎の話はなんと・・・ 宮本百合子 「求め得られる幸福」
出典:青空文庫