・・・緑雨の竹馬の友たる上田博士も緑雨の第一の知己なる坪内博士も参列し、緑雨の最も莫逆を許した幸田露伴が最も悲痛なる祭文を読んだ。丁度風交りの雨がドシャドシャ降った日で、一代の皮肉家緑雨を弔うには極めて相応しい意地の悪い天気であった。 緑雨の・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・勧善懲悪の旧旗幟を撞砕した坪内氏の大斧は小説其物の内容に対する世人の見解を多少新たにしたが、文人其者を見る眼を少しも変える事が出来なかった。夫故、国会開設が約束せられて政治休息期に入っていた当時、文学に対する世間の興味は俄に沸湧して、矢野と・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・ 二葉亭に限らず、総て我々年輩のものは誰でも児供の時から吹込まれた儒教思想が何時まで経っても頭脳の隅のドコかにこびり着いていて容易に抜け切れないものだ。坪内博士がイブセンにもショオにもストリンドベルヒにも如何なるものにも少しも影響されな・・・ 内田魯庵 「二葉亭四迷」
・・・渠らの人物がどうのこうのというよりはドダイ小説や戯曲を尊重する気がしなかった。坪内逍遥や高田半峰の文学論を読んでも、議論としては感服するが小説その物を重く見る気にはなれなかった。 私が初めて甚深の感動を与えられ、小説に対して敬虔な信念を・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
坪内君の功労は誰でも知ってる。何も特にいわんでも解ってる。明治の文学の最も偉大なる開拓者だといえばそれで済む。福地桜痴、末松謙澄などという人も創業時代の開拓者であるが、これらは鍬を入れてホジクリ返しただけで、真に力作して人跡未踏の処女・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・それ以前から先輩の読み物であった坪内氏の「当世書生気質」なども当時の田舎の中学生にはやはり一つの新しい夢を吹き込むものであった。宮崎湖処子の「帰省」という本が出て、また別な文学の世界の存在を当時の青年に啓示した。一方では民友社で出していた「・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・今もいったツルゲーネフの『ファーザース・エンド・チルドレン』の冒頭を、少々ばかり訳したことなどもあるが、坪内さんに見せたばかりで物にはならなかった。『浮雲』にはモデルがあったかというのか? それは無いじゃないが、モデルはほんの参考で、引写し・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
・・・原稿のこと、並、坪内ホームスのこと。五月四日の夜、Sunday――Aと Brick Church に行き、カーネギー夫人に会いかえりに Fifth ave を歩いて、Maison Facile で Supper を食べ、夜の中を散歩して・・・ 宮本百合子 「「黄銅時代」創作メモ」
・・・ この間の世界地図は、ひどいのでしたが、無きには増しと存じ、いまにもっとましなのを買ったらとりかえましょう。語学の本はもうつかっていらっしゃいますか? 坪内先生が死なれて、私はあちらこちらから感想をもとめられましたが、先生と私との間・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・新興文化の先駆としての福沢諭吉の啓蒙的文筆活動、翻訳小説と、魯文の文学とは、近代社会建設に向う意欲とその思想とに於て、役割に於て、本質を異にしたものであった。坪内逍遙の「小説神髄」が日本の近代小説への道を示したことは周知である。文芸理論に於・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
出典:青空文庫