・・・腰掛の一番後ろの片隅に寄りかかって入口の脇のガラス窓に肱をもたせ、外套の襟の中に埋るようになって茫然と往来を眺めながら、考えるともなくこの間中の出来事を思い出している。 無病息災を売物のようにしていた妹婿の吉田が思いがけない重患に罹って・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・水害の名残棒堤にしるく砂利に埋るゝ蘆もあわれなり。左側の水楼に坐して此方を見る老人のあればきっと中風よとはよき見立てと竹村はやせば皆々笑う。新地の絃歌聞えぬが嬉しくて丸山台まで行けば小蒸汽一艘後より追越して行きぬ。 昔の大名それの君、す・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・ しばらくすると裏庭で、子供が文鳥を埋るんだ埋るんだと騒いでいる。庭掃除に頼んだ植木屋が、御嬢さん、ここいらが好いでしょうと云っている。自分は進まぬながら、書斎でペンを動かしていた。 翌日は何だか頭が重いので、十時頃になってようやく・・・ 夏目漱石 「文鳥」
・・・ 一つところを見つめて私はせわしい息を吐きながら布団の中に埋る様にして居る幼い妹の事を思った。 涙は絶えずまぶたに満ちてそれでも人前を知らん顔を仕終せ様とするにはなかなかの骨折で顔が熱くなって帯を結んだあたりに汗がにじむ様だった。・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ 雪が埋るほど積った日に、わざわざカノサまでヘンリー王があやまりに来た時の事をさ。第二の若僧 ほんとうにあの時は今までになく目覚ましい事だった。老僧は窓の処から外を見て動かない。第一の若僧 七日七夜、寒さと饑に眼ばか・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・天気のよい日で、明るい往来に、実に尨大な石の布袋が空虚な大口をあけて立って居る傍から入ると、何処か、屋敷の塀に一方を遮られ、一方には小体な家々の並んだ細道は霜どけで、下駄が埋る有様である。 暫く行くと、古びた木の門が見えた。一方の柱に岡・・・ 宮本百合子 「又、家」
出典:青空文庫