・・・ 二 春桃は、徳勝門の城壁に沿った廂房に暮している三十歳ばかりの、すっきりとした清潔ずきの屑買い女である。崩れのこった二間の廂房の外には、黄瓜の棚と小さい玉蜀黍畑とがあり、窓下には香り高い晩香玉が咲いている・・・ 宮本百合子 「春桃」
・・・ まるで、風土文物の異った封建時代の王国の様に、両家の子供をのぞいた外の者は、垣根一重を永劫崩れる事のない城壁の様にたのんで居ると云う風であった。 けれ共子供はほんとに寛大な公平なものだとよく思うが、親父さんに、「おい又行く・・・ 宮本百合子 「二十三番地」
・・・窓の小さいのが三つ位開いて単純な長方形のガラス越に寒そうな青白い月光の枯れ果てた果樹園を照らしてはるかに城壁が真黒に見える。長椅子からよっぽどはなれた所に青銅製の思い切って背の高いそして棒の様な台の上に杯の様な油皿のついた燈火を置い・・・ 宮本百合子 「胚胎(二幕四場)」
・・・その茗荷畑のすぐ後に城壁の様に青く光ってそびえて居る人間の作った壁と云うものをいかにも根性の悪いような絶えずおびやかされて居る様な気で見上げた。 なにげなくした羽ばたきの音は先が切られてあるんでポツリとした音であった。その音を、不思議な・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・妙解院殿の御代に至り、寛永十四年冬島原攻の御供いたし、翌十五年二月二十七日兼田弥一右衛門とともに、御当家攻口の一番乗と名告り、海に臨める城壁の上にて陣亡いたし候。法名を義心英立居士と申候。 某は文禄四年景一が二男に生れ、幼名才助と申候。・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・祖国ギリシャの敗戦のとき、シラクサの城壁に迫るローマの大艦隊を、錨で釣り上げ投げつける起重機や、敵船体を焼きつける鏡の発明に夢中になったアルキメデスの姿を梶はその青年栖方の姿に似せて空想した。「それにはまた、物凄い青年が出てきたものだな・・・ 横光利一 「微笑」
・・・その巨大な人力が凝ってあの城壁となっているのである。その点においてはエジプトのピラミッドもローマのコロセウムも大阪城に及ばない(。しかもそういう巨大な人力をあの城壁に結晶させた豊太閤は、現代に至るまで三百余年間、京都大阪の市民から「偉い奴」・・・ 和辻哲郎 「城」
出典:青空文庫