・・・殊に狭苦しい埠頭のあたりは新しい赤煉瓦の西洋家屋や葉柳なども見えるだけに殆ど飯田河岸と変らなかった。僕は当時長江に沿うた大抵の都会に幻滅していたから、長沙にも勿論豚の外に見るもののないことを覚悟していた。しかしこう言う見すぼらしさはやはり僕・・・ 芥川竜之介 「湖南の扇」
・・・尾崎はその時学堂を愕堂と改め、三日目に帝都を去るや直ちに横浜埠頭より乗船して渡欧の途に上った。その花々しい神速なる行動は真に政治小説中の快心の一節で、当時の学堂居士の人気は伊公の悪辣なるクーデター劇の花形役者として満都の若い血を沸かさしたも・・・ 内田魯庵 「四十年前」
・・・どこかに捜して宿をとろうか、それとも今の女のところへ帰ってゆこうか、それはいずれにしても私の憎悪に充ちた荒々しい心はこの港の埠頭で尽きていた。ながい間私はそこに立っていた。気疎い睡気のようなものが私の頭を誘うまで静かな海の暗を見入っていた。・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・小母さんも初やもいっしょに隣村の埠頭場までついて行ったのだそうである。夕方の船はこの村からは出ないのである。初やは大きな風呂敷包みを背負って行った。も少し先のことだという。その伯父さんは章坊が学校から帰ったらもう来ていたというのである。自分・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ 川の中には白い帆艇が帆をいっぱいに張って、埠頭を目がけて走って来ましたが、舵の座にはだれもおりませんでした。おかあさんは花と花のにおいにひたりながら進みますから、その裳は花床よりもなおきれいな色になりました。 おかあさんは海岸の柳・・・ 著:ストリンドベリアウグスト 訳:有島武郎 「真夏の夢」
・・・若しスバーが水のニムフであったなら、彼女は、蛇の冠についている宝玉を持って埠頭へと、静かに川から現れたでしょうに、そうなると、プラタプは詰らない釣などは止めてしまい、水の世界へ泳ぎ入って、銀の御殿の黄金作りの寝台の上に、誰あろう、この小さい・・・ 著:タゴールラビンドラナート 訳:宮本百合子 「唖娘スバー」
・・・五年ぶりに帰朝する御主人をお迎えにいそいそ横浜の埠頭、胸おどらせて待っているうちにみるみる顔のだいじなところに紫色の腫物があらわれ、いじくっているうちに、もはや、そのよろこびの若夫人も、ふためと見られぬお岩さま。そのような悲劇もあり得る。男・・・ 太宰治 「皮膚と心」
・・・また、エイゼンシュテインは港の埠頭における虐殺の残酷さを見せるために、階段をころがり落ちる乳母車を写した。「彫刻家が大理石とブロンズで考えるように、映画家はカメラとフィルムで考えそうして選択することが第一義である。」 役者の選択につ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ 二人の若者の出帆を見送ったイドウ親爺とテレーズとが話しながら埠頭を帰って来る。親爺が「これが運命というものじゃ」というとたんに、ぱっと二人の乗って行った船の機関室が映写されて、今まで回っていたエンジンのクランクがぴたりと止まる。これら・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・船と埠頭の間に渡した色テープの橋の両側で勇ましい軍歌が起った、人々の顔がみんな酔ったように赤く見えた。誰も彼も意志の強そうな顔ばかりである。世の中にこわいものもなければ心配なことも何もないような人ばかりである。これらの勇士達はこれからどこの・・・ 寺田寅彦 「札幌まで」
出典:青空文庫