・・・わたくしが個人雑誌『花月』の誌上に、『かかでもの記』を掲げて文壇の経歴を述べたのは今より十五、六年以前であるが、初は『自作自評』と題して旧作の一篇ごとに執筆の来由を陳べ、これによって半面はおのずから自叙伝ともなるようにしたいと考えた。しかし・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・く、婦人の道は柔和忍辱盲従に在り、夫々たらざるも妻々たらざるを得ずとて、専ら其一方の教に力を籠めて自から封建社会の秩序に適合せしめ、又間接に其秩序を幇助せしめたるが如き、一種特別なる時勢の中に居て立案執筆したる女大学なれば、其所論今日より見・・・ 福沢諭吉 「女大学評論」
・・・という作品の執筆中で、原稿があわただしくみすてられたミュンヘンの家にとりのこされたままであった。トーマス・マンのために、このたいせつな原稿は、どうにかしてとり出さなければならない。父を愛するエリカは、農婦に変装した。そして、いつぞやの早まわ・・・ 宮本百合子 「明日の知性」
・・・犯罪統計のうち破廉恥罪以外で投獄された人民の第一位を、新聞取締法違反によって告発された執筆者たちが占めていたのである。 二 日本の新聞の歴史は、こうして忽ち、反動的な強権との衝突の歴史となったのであるが、大・・・ 宮本百合子 「明日への新聞」
・・・ 先月号の『行動』に婦人詩人中河幹子さんが、婦人作家評を執筆された。中で、私のことにもふれられ「獄中の人と結婚せられた心理はわかるようで不可能である。ああいうことはオクソクの他であるが、私は無意味であると思っている」と結論しておられる。・・・ 宮本百合子 「新しい一夫一婦」
・・・、なおそのあとにつく作品として執筆されつつある。「伸子」の中のむずかしい漢字は、今日の読者のためにかなに直した。 一九四八年九月〔一九四九年二月〕 宮本百合子 「あとがき(『伸子』)」
・・・ その数多いソヴェトに関する執筆のうち、単行本としてまとめられたのは僅に『新しきシベリアを横切る』一冊であり、それは全部の十分の一にも足りなかった。一九三二年の三月後から一九四五年八月までつづいた日本のファシズム権力は治安維持法と情報局・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第九巻)」
・・・ 一九三八年一月から中野重治と私と他に数人の評論家が、思想傾向の上から内務省として執筆させることを望まない、という表現で、事実上の執筆禁止をうけた。その前後から雑誌や単行本に対する取締りがひどくなって、少しでも日本の軍事行動に対して疑問・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第五巻)」
・・・ いま考えれば、作者によって、あれだけ多量・広汎にソヴェト生活報告は執筆されているときであるから「ナルプ」は、啓蒙的な必要のためには、最もじかにその目的をもって書かれているそれらの紹介を集め、出版し、普及させるのが、能率的であり、活溌な・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十巻)」
この集には「冬を越す蕾」につづいて一九三七年から一九四一年のはじめまでに執筆された文芸評論があつめられている。しかし、このまる三年間には、一ヵ年と四五ヵ月にわたる空白時代がはさまっている。一九三八年一月から翌る年のなかごろ・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第十一巻)」
出典:青空文庫