・・・ 尻からげして、三吉は、こんどは土堤道をあと戻りし、やがて場末の町にはいってきた。足首を白いほこりに染めながら、小家ばかりの裏町の路地を、まちがえずに入ってくる。なにかどなりながら竹箒をかついで子供をおっかけてきた腰巻一つの内儀さんや、・・・ 徳永直 「白い道」
・・・曾て場末の町の昼下りに飴を売るものの吹き歩いたチャルメラの音色にも同じような哀愁があったが、これはいつか聞かれなくなった。按摩の笛の音も色町を除くの外近年は全く絶えたようである。されば之に代って昭和時代の東京市中に哀愁脉々たる夜曲を奏するも・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・茂った竹藪や木立の蔭なぞに古びた小家の続く場末の町の小径を歩いて行く時、自分はふいと半ば枯れかかった杉垣の間から、少しばかり草花を植えた小庭の竹竿に、女の浴衣が一枚干し忘れられたように下っているのを目にした。 下町でも特別の土地へ行かね・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・電車はまだ布設されていなかったが既にその頃から、東京市街の美観は散々に破壊されていた中で、河を越した彼の場末の一劃ばかりがわずかに淋しく悲しい裏町の眺望の中に、衰残と零落とのいい尽し得ぬ純粋一致調和の美を味わしてくれたのである。 その頃・・・ 永井荷風 「深川の唄」
・・・橋向うの場末さ。下宿料が安いからかかる不景気なところにしばらく――じゃない、つまり在英中は始終蟄息しているのだ。その代り下町へは滅多に出ない。一週に一二度出るばかりだ。出るとなると厄介だ。まず「ケニントン」と云う処まで十五分ばかり徒行いて、・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・ 外国人のためにもこの祭りの日と夜とを一きわ華やかにしつらえている贅沢な並木道通りからはずれ、暗いガードそばという場末街の祭の光景は、その片かげに大パリの現実的な濃い闇を添えているだけに、音楽も踊る群集も哄笑も、青や赤の色電燈の下で、実・・・ 宮本百合子 「十四日祭の夜」
・・・ 六時すこしまわった刻限で、その場末の終点の光景は一種特別であった。市内から終点に向って来る電車はどれも満員で、陸続と下りる群集が、すぐ傍の省線駅や歩道の各方面にちらばるが、その電車が終点からベルを合図に市内に向けて出発する時はどれにも・・・ 宮本百合子 「電車の見えない電車通り」
・・・ 遠くでする蝉の声、鶏の鳴く音が、市街と云っても場末な所の家らしく響いて来る。 又夜になったら、あのつづきを書くために、私の紙屑籠が肥らされるのであろう。 宮本百合子 「曇天」
・・・ そのうち停留場に来た。場末の常で、朝出て晩に帰れば、丁度満員の車にばかり乗るようになるのである。二人は赤い柱の下に、傘を並べて立っていて、車を二台も遣り過して、やっとの事で乗った。 二人共弔皮にぶら下がった。小川はまだしゃべり足り・・・ 森鴎外 「あそび」
・・・六、七年前銀座裏で食事をして外へ出たとき、痛切にシンガポールの場末を思い出したことがある。往来から夜の空の見える具合がそういう連想を呼び起こしたのかと思われるが、その時には新しく建設せられる東京がいかにも植民地的であるのを情けなく思った。し・・・ 和辻哲郎 「城」
出典:青空文庫