・・・「我々の運命を定めるものは信仰と境遇と偶然とだけです。トックさんは不幸にも信仰をお持ちにならなかったのです。」「トックはあなたをうらやんでいたでしょう。いや、僕もうらやんでいます。ラップ君などは年も若いし、……」「僕も嘴さえちゃ・・・ 芥川竜之介 「河童」
・・・ 運命 遺伝、境遇、偶然、――我我の運命を司るものは畢竟この三者である。自ら喜ぶものは喜んでも善い。しかし他を云々するのは僣越である。 嘲けるもの 他を嘲るものは同時に又他に嘲られることを恐れるもので・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・それには、従来永年この農場の差配を担任していた監督の吉川氏が、諸君の境遇も知悉し、周囲の事情にも明らかなことですから、幾年かの間氏をわずらわして実務に当たってもらうのがいちばんいいかと私は思っています。永年の交際において、私は氏がその任務を・・・ 有島武郎 「小作人への告別」
・・・なぜなれば、それはじつに、我々自身が現在においてもっている理解のなおきわめて不徹底の状態にあること、および我々の今日および今日までの境遇がかの強権を敵としうる境遇の不幸よりもさらにいっそう不幸なものであることをみずから承認するゆえんであるか・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・ 同時にお誓がうつくしき鳥と、おなじ境遇に置かるるもののように、衝と胸を打たれて、ぞっとした。その時、小枝が揺れて、卯の花が、しろじろと、細く白い手のように、銑吉の膝に縋った。昭和八年一月・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 君と僕とは、境遇の差があまりにはなはだしいから、とうてい互いにあい解するということはできぬものらしい。君のごとき境遇にある人の目から見て、僕のごとき者の内面は観察も想像およぶはずのものであるまい。いかな明敏な人でも、君と僕だけ境遇が違・・・ 伊藤左千夫 「去年」
・・・ 妻は跡に残った新芸者――色は白いが、お多福――からその可哀そうな身の上ばなしを聴き、吉弥に対する憎みの反動として、その哀れな境遇に同情を寄せた。東京からわざわざやって来て、主人には気に入りそうな様子が見えないのであった。 この女か・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・「どうする意もないが、境遇のため眠ってるヒューマニチーの眼を覚まさせるため、真面目な職業なり学問なりを与えてやりたいのだ」と、女の咄から発して人生論となり、コントのポジティヴィズムに説き及ぼし、蜘蛛が巣を作るように段々と大きな網を広げて・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・今の世の中の博愛とか、慈善とかいうものは、他人が生活に苦しみ、また境遇に苦しんでいる好い加減の処でそれを救い、好い加減の処でそれを棄てる。そして、終にこの人間に窮局まで達せしめぬ。私はこんな行為を愛ということは出来ぬ。本当の愛があれば、その・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・のも、里子に遣られたり、継母に育てられたり、奉公に行ったりしたことが、私の運命をがらりと変えてしまったように思っているせいですが、しかし今ふと考えてみると、私が現在自分のような人間になったのは、環境や境遇のせいではなかったような気もしてくる・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
出典:青空文庫