・・・殊に、僕の如き出不精なものは、それだけ変化にも驚き易いから、幾分か話すたねも殖えるわけである。 住み心地のよくないところ 大体にいへば、今の東京はあまり住み心地のいゝところではない。例へば、大川にしても、僕が子供の時分には、まだ・・・ 芥川竜之介 「東京に生れて」
・・・歯車は数の殖えるのにつれ、だんだん急にまわりはじめた。同時に又右の松林はひっそりと枝をかわしたまま、丁度細かい切子硝子を透かして見るようになりはじめた。僕は動悸の高まるのを感じ、何度も道ばたに立ち止まろうとした。けれども誰かに押されるように・・・ 芥川竜之介 「歯車」
・・・ いくち、しめじ、合羽、坊主、熊茸、猪茸、虚無僧茸、のんべろ茸、生える、殖える。蒸上り、抽出る。……地蔵が化けて月のむら雨に托鉢をめさるるごとく、影朧に、のほのほと並んだ時は、陰気が、緋の毛氈の座を圧して、金銀のひらめく扇子の、秋草の、・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・、次の人の名を呼んで、自分の手を、呼んだ人の膝へ置く、呼ばれた人は必ず、返事をして、また同じ方法で、次の人の膝へ手を置くという風にして、段々順を廻すと、恰度その内に一人返事をしないで座っている人が一人増えるそうで。「本叩き」というのは、・・・ 泉鏡花 「一寸怪」
・・・また……別に雀の数の多くなる事ばかりを望むのではないのであるが、春に、秋に、現に目に見えて五、六羽ずつは親の連れて来る子の殖えるのが分っているから、いつも同じほどの数なのは、何処へ行って、どうするのだろうと思うからである。 が、どうも様・・・ 泉鏡花 「二、三羽――十二、三羽」
一 寒くなると、山の手大通りの露店に古着屋の数が殖える。半纏、股引、腹掛、溝から引揚げたようなのを、ぐにゃぐにゃと捩ッつ、巻いつ、洋燈もやっと三分心が黒燻りの影に、よぼよぼした媼さんが、頭からやがて膝の・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・結局はマダ解らんが、電報が来る度毎に勝利の獲物が次第に殖えるから愉快で堪らん。社では小使給仕までが有頂天だ。号外が最う刷れてるんだが、海軍省が沈黙しているから出す事が出来んで焦り焦りしている。尤も今日は多分夕方までには発表するだろうと思うが・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・しみったれた事を言うようであるが、生活費はどんどんあがるし、子供は殖えるし、それに収入がまるで無いんだから、心細いこと限りない。当時は私だけでなく、所謂純文芸の人たち全部、火宅の形相を呈していたらしい。しかし、他の人たちにはたいてい書画骨董・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・お腹がふくれると、口が殖える将来を案じて、出来ることなら流産てしまえば可いがと不養生のありたけをして、板の間にじかに坐ったり、出水の時、股のあたりまである泥水の中を歩き廻ったりしたにもかかわらず、くりくりと太った丈夫な男の児が生れた。私・・・ 永井荷風 「深川の散歩」
・・・一刻に一刻を加うれば二刻と殖えるのみじゃ。蜀川十様の錦、花を添えて、いくばくの色をか変ぜん。 八畳の座敷に髯のある人と、髯のない人と、涼しき眼の女が会して、かくのごとく一夜を過した。彼らの一夜を描いたのは彼らの生涯を描いたのである。・・・ 夏目漱石 「一夜」
出典:青空文庫