・・・土百姓同様の貧乏士族の家に生まれて、生まれるとから貧乏には慣れている。物心のついた時には父は遠島になっていて母ばかりの暮らしだったので、十二の時にもう元服して、お米倉の米合を書いて母と子二人が食いつないだもんだった。それに俺しには道楽という・・・ 有島武郎 「親子」
・・・態に似合わず悠然と落着済まして、聊か権高に見える処は、土地の士族の子孫らしい。で、その尻上がりの「ですか」を饒舌って、時々じろじろと下目に見越すのが、田舎漢だと侮るなと言う態度の、それが明かに窓から見透く。郵便局員貴下、御心安かれ、受取人の・・・ 泉鏡花 「国貞えがく」
・・・女房の身分に就いて、忠告と意見とが折合ず、血気の論とたしなめられながらも、耳朶を赤うするまでに、たといいかなるものでも、社会の階級の何種に属する女でも乃公が気に入ったものをという主張をして、華族でも、士族でも、町家の娘でも、令嬢でもたとい小・・・ 泉鏡花 「政談十二社」
・・・はじめ、連立って、ここへ庭樹の多い士族町を通る間に――その昔、江戸護持院ヶ原の野仏だった地蔵様が、負われて行こう……と朧夜にニコリと笑って申されたを、通りがかった当藩三百石、究竟の勇士が、そのまま中仙道北陸道を負い通いて帰国した、と言伝えて・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・それにしても岡村の家は立派な士族で、此地にあっても上流の地位に居ると聞いてる。こんな調子で土地の者とも交際して居るのかしらなど考える。百里遠来同好の友を訪ねて、早く退屈を感じたる予は、余りの手持無沙汰に、袂を探って好きもせぬ巻煙草に火をつけ・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・椿岳が小林姓を名乗ったのは名聞好きから士族の廃家の株を買って再興したので、小林城三と名乗って別戸してからも多くは淡島屋に起臥して依然主人として待遇されていたので、小林城三でもありまた淡島屋でもあったのだ。 尤もその頃は武家ですらが蓄妾を・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・ 紅葉も江戸ッ子作者の流れを汲んだが、紅葉は平民の子であっても山の手の士族町に育って大学の空気を吸った。緑雨は士族の家に生れたが、下町に育って江戸の気分にヨリ多く浸っていた。緑雨の最後の死亡自家広告は三馬や一九やその他の江戸作者の死生を・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・というのが、岩――の士族屋敷ではこの「ひげ」の生まれない前のもっと前からすでに気味の悪いところになっているので幾百年かたって今はその根方の周囲五抱えもある一本の杉が並木善兵衛の屋敷の隅に聳ッ立ッていてそこがさびしい四辻になっている。 善・・・ 国木田独歩 「河霧」
・・・家と屋敷ばかり広うても貧乏士族で実は喰うにも困る中を母が手内職で、子供心にはなんの苦労もなく日を送っていたのでございます。 母も心細いので山家の里に時々帰えるのが何よりの楽しみ、朝早く起きて、淋しい士族屋敷の杉垣ばかり並んだ中をとぼとぼ・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・エ、侯爵面して古い士族を忘れんなと言え。全体彼奴等に頭を下げぺこぺこと頼み廻るなんちゅうことは富岡の塾の名汚しだぞ。乃公に言えば乃公から彼奴等に一本手紙をつけてやるのに。彼奴等は乃公の言うことなら聴かん理由にいかん」 先ずこんな調子。そ・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
出典:青空文庫