・・・桜井先生はまだ壮年の輝きを失わない眼付で、大きな火鉢を前に控えて、盛んに話す。正木大尉は正木大尉で強い香のする刻煙草を巻きながら、よく「軍隊に居た時分」を持ち出す。時には、音吉が鈴を振鳴しても、まだ皆な火鉢の側に話し込むという風であった。・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・しかしこれから若く成って行くのか、それとも老境に向っているのか、その差別のつかないような人で、気象の壮んなことは壮年に劣らなかった。頼りになる子も無く、財産を分けて遣る楽みも無く、こんな風にして死んで了うのか、そんなことを心細く考え易い年頃・・・ 島崎藤村 「刺繍」
・・・この祖父は、壮年の頃は横浜で、かなりの貿易商を営んでいたのである。令息の故新之助氏が、美術学校へ入学した時にも、少しも反対せぬばかりか、かえって身辺の者に誇ってさえいたというほどの豪傑である。としとって隠居してからでも、なかなか家にじっとし・・・ 太宰治 「ろまん燈籠」
・・・ 小松の若先生でも楠先生でも、もし無事だったらまだ生きておられてもいい年輩であったが、二人とも壮年で亡くなられた。そうして大人になるまで生きるかどうかと気遣われた自分が、これらの先生方のおかげでどうにか生き延びて、そうしてこれらの人達よ・・・ 寺田寅彦 「追憶の医師達」
・・・しかし今ようやく五十一二とすると、昔自分が相見の礼を執った頃はまだ三十を超えたばかりの壮年だったのである。それでも老師は知識であった。知識であったから、自分の眼には比較的老けて見えたのだろう。 いっしょに連れて行った二人を老師に引き合せ・・・ 夏目漱石 「初秋の一日」
・・・に容易なるその最中に、自家の学問社会をかえりみれば、生計得べきの路なきのみならず、蛍雪幾年の辛苦を忍耐するも、学者なりとして敬愛する人さえなき有様なれば、むしろ書を抛て一臂を政治上に振うに若かずとて、壮年後進の学生は争うて政治社会に入らざる・・・ 福沢諭吉 「学問の独立」
・・・この時に下士の壮年にして非役なる者(全く非役には非ざれども、藩政の要路に関数十名、ひそかに相議して、当時執権の家老を害せんとの事を企てたることあり。中津藩においては古来未曾有の大事件、もしこの事をして三十年の前にあらしめなば、即日にその党与・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・仮令ば人間の一生は連続している、嬰児期幼児期少年少女期青年処女期壮年期老年期とまあ斯うでしょう、ところが実はこれは便宜上勝手に分類したので実は連続しているはっきりした堺はない、ですから、若し四十になる人が代議士に出るならば必ず生れたばかりの・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・ましてや、温和なチェホフが、壮年のゴーリキイを除名したアカデミーにたいして、自分がアカデミシャンであることを恥じると抗議したような、温和にして剛毅な文学の精神は、日本の当時に存在しなかったのである。 十三年代に明瞭にあらわれた、この文化・・・ 宮本百合子 「ある回想から」
・・・ そういうような質問をされたある壮年の作家は、異性間の友情というようなものはあり得ないと答えられたそうである。その答えのされた気持は分るところがあると思う。妙にロマンティックに異性の間の友情というようなものを描いて、実際には恋愛ともいえ・・・ 宮本百合子 「異性の間の友情」
出典:青空文庫