・・・天下の愚書でも売れる本はいつでも在庫品があり、売れない本はめったにない。これも書物が何々株式会社の「商品」であるとすればもとより当然のことである。それで自然に起こる要求は、そういう商品としてでない書籍の供給所を国家政府で経営して大概の本がい・・・ 寺田寅彦 「読書の今昔」
・・・日本人でありながらロシア人やアメリカ人になったような気持ちで浮かれた事を満載した書物はよく売れると見えて有り過ぎるほどあるのに、連句の本などはミイラかウニコーンを捜す気で捜さなければ見つからない。これが何よりの証拠である。ただ近来少数ではあ・・・ 寺田寅彦 「連句雑俎」
・・・それもやるとすれば、少しお金をかけて売れる子を二人も抱えなければ……」お絹はしみじみ話しだした。「大阪の方はよほどいいのかね」「あの子は誰にでも可愛がられる質やさかえ。御主人にも信用がありますけれど、お祖母さんという人に、大変に気に・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 五つか六つ売れると、水もそれだけ減らしていいから、ウンと荷が軽くなる。気持もはずんでくる。ガンばってみんな売ってゆこうという気になる。「こんちはァ、こんにゃく屋ですが、御用はありませんか」 一二度買ってくれた家はおぼえておいて・・・ 徳永直 「こんにゃく売り」
此間魯庵君に会った時、丸善の店で一日に万年筆が何本位売れるだろうと尋ねたら、魯庵君は多い時は百本位出るそうだと答えた。夫では一本の万年筆がどの位長く使えるだろうと聞いたら、此間横浜のもので、ペンはまだ可なりだが、軸が減った・・・ 夏目漱石 「余と万年筆」
・・・それも町へ持って行ってひどく高く売れるというのではないしほんとうに気の毒だけれどもやっぱり仕方ない。けれどもお前に今ごろそんなことを言われるともうおれなどは何か栗かしだのみでも食っていてそれで死ぬならおれも死んでもいいような気がするよ」・・・ 宮沢賢治 「なめとこ山の熊」
・・・その投資を出来るだけ利まわりよく回収するためには、一冊の雑誌が高くてもどっさりうれるようにしなければならず、売れる、ということのためには、日本の人口の大部分を占める人々――大衆のこのみに合うことが必要となって来る。大衆のこのみとはどういうも・・・ 宮本百合子 「新しい文学の誕生」
・・・玉子は納豆よりずっと儲があったから、よく売れると帰りに一太は橋詰の支那ソバを奢って貰えた。玉子をどっさり売って出て来るとき何だかいい気持を一太に与えた。一寸背が高くなったような心持だ。 歩くのは天気の好い日に限っていたから、道々一太は種・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・同時に、世界の文化的商業の面から、パリで売れる、ということが一つの商品価値証明のようになった。ウィーンで有名だった藤田嗣治、というのと、パリで有名だった藤田嗣治というのとでは、一般のうける印象がちがう。日本において彼の作品の商品価値がちがう・・・ 宮本百合子 「木の芽だち」
・・・肝心の漁師の宰領は、為事は当ったが、金は大して儲けなかったのに、内では酒なら幾らでも売れると云う所へ持ち込んだのだから、旨く行ったのだ。」こう云った一人の客は大ぶ酒が利いて、話の途中で、折々舌の運転が悪くなっている。渋紙のような顔に、胡麻塩・・・ 森鴎外 「鼠坂」
出典:青空文庫