・・・此の夏休み中で、一番面白かったのは、おじいさんと一緒に上の原へ仔馬を連れに行ったのと、もう一つはどうしても剣舞だ。鶏の黒い尾を飾った頭巾をかぶり、あの昔からの赤い陣羽織を着た。それから硬い板を入れた袴をはき、脚絆や草鞋をきりっとむすんで、種・・・ 宮沢賢治 「種山ヶ原」
・・・全く三千六百五十三回、則ち閏年も入れて十年という間、日曜も夏休みもなしに落第ばかりしていては、これが泣かないでいられましょうか。けれどもネネムは全くそれとは違います。 元気よく大学校の門を出て、自分の胸の番地を指さして通りかかったくらげ・・・ 宮沢賢治 「ペンネンネンネンネン・ネネムの伝記」
・・・フランスの北のブルターニュに夏休みのための質素な別荘が借りてあったが、彼女はパリが離れられなくて、まず二人の娘イレーヌとエーヴとを一足先へそちらへやった。お母さんであるキュリー夫人は八月の三日になったならばそこで娘たちと落合って、多忙な一年・・・ 宮本百合子 「キュリー夫人」
・・・出版記念の会などというものはなかなか感情が純一に行かないものだし、第一そういう趣味は網野さんから遠い故、一緒に何処かで悠くり御飯でも食べて喋ろう。夏休みの間からたのしみにしていた。沓掛から、きっちり予定通り八月三十一日に網野さんは帰って来た・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・農民の家の図書館。夏休み、勤労者が一ヵ月の有給休暇で「休みの家」へ行く時には、その附近に大抵図書館の出張所が出来る。 現にわたしがレーニングラード附近に一夏暮した時のことだ。昔の離宮が今は勤労者のための愉快な公園博物館として開放されてい・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェト同盟の文化的飛躍」
・・・ 少し大きくなってから私は夏休みを此の祖母のところで過ごし、そういう時は、私に髪を結わせるのが祖母の楽しみらしかった。髪と云っても切下げ髪であった。それをよく櫛で揃えてとめるだけだったけれど、祖母の頭には一つ割合大きい疣があって、とかく・・・ 宮本百合子 「この初冬」
・・・少し大きい小学生となってからは、ひとりで夏休みじゅう、おばあさんのところで暮した。その村の年よりたち、牛や馬、犬、子供たち、ばかの乞食、気味のわるい半分乞食のようなばあさん、それらの人々の生活は、山々の眺望や雑木林の中に生えるきのことともに・・・ 宮本百合子 「作者の言葉(『貧しき人々の群』)」
・・・ 家庭における科学教育ということも、つまりはこういうところにかかっていると思う。夏休みには植物採集をさせますとか、科学博物館へつれてゆきますとか云う、それだけが厚みの全部ではないと思われる。 つい三四日前のことであったが、夕飯のすん・・・ 宮本百合子 「市民の生活と科学」
・・・小学校の一年ぐらいから夏休みになると、海老茶の袴をはいて、その頃は一つ駅でも五分も十分も停る三等列車にのって、窓枠でハンカチに包んだ氷をかいてはしゃぶりながら、その田舎へ出かけて行った。 毎年毎年、その東北の村で見ていた印象がたたまって・・・ 宮本百合子 「「処女作」より前の処女作」
・・・でやるのに、休みのときの楽しみを与えてくれる文化活動だけが夏休みしちまうのは変だ。芝居も、役者は順ぐり休むがいいが、小屋はズッと開けろという意見が出ているわけだ。 アーク燈に美しく照らされたモスクワ市中の並木道は、日に二時間ぐらいずつ自・・・ 宮本百合子 「ソヴェト労働者の夏休み」
出典:青空文庫