・・・高等学校へはいってから夏目漱石先生に「オピアム・イーター」「サイラス・マーナー」「オセロ」を、それもただ部分的に教わっただけである。そのころから漱石先生に俳句を作ることを教わったが、それとてもたいして深入りをしたわけではなかった。 自分・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・いつか須田町で乗換えたときに気まぐれに葉巻を買って吸付けたばかりに電車を棄権して日本橋まで歩いてしまった。夏目先生にその話をしたら早速その当時書いていた小説の中の点景材料に使われた。須永というあまり香ばしからぬ役割の作中人物の所業としてそれ・・・ 寺田寅彦 「喫煙四十年」
子規の自筆を二つ持っている。その一つは端書で「今朝ハ失敬、今日午後四時頃夏目来訪只今帰申候。寓所ハ牛込矢来町三番地字中ノ丸丙六〇号」とある。片仮名は三字だけである。「四時頃」の三字はあとから行の右側へ書き入れになっている。・・・ 寺田寅彦 「子規自筆の根岸地図」
・・・さっき牧君の紹介があったように夏目君の講演はその文章のごとく時とすると門口から玄関へ行くまでにうんざりする事があるそうで誠に御気の毒の話だが、なるほどやってみるとその通り、これでようやく玄関まで着きましたから思いきって本当の定義に移りましょ・・・ 夏目漱石 「現代日本の開化」
・・・「夏目さんは大変御勉強だそうですね」と細君が傍から口を開く「あまり勉強もしません、近頃は人から勧められて自転車を始めたものですから、朝から晩までそればかりやっています」「自転車は面白うござんすね、宅ではみんな乗りますよ、あなたもやはり遠・・・ 夏目漱石 「自転車日記」
本月の「趣味」に田山花袋君が小生に関してこんな事を云われた。――「夏目漱石君はズーデルマンの『カッツェンステッヒ』を評して、そのますます序を逐うて迫り来るがごとき点をひどく感服しておられる。氏の近作『三四郎』はこの筆法で往・・・ 夏目漱石 「田山花袋君に答う」
・・・それで車の上で感服したような驚いたような顔をして、きょろきょろ見廻して来ると所々の辻々に講演の看板と云いますか、広告と云いますか、夏目漱石君などと云うような名前が墨黒々と書いて壁に貼りつけてある。何だか雲右衛門か何かが興行のため乗り込んだよ・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・そうかと思うと悪戯好の社友は、余が辞退したのを承知の上で、故さらに余を厭がらせるために、夏目文学博士殿と上書をした手紙を寄こした。この手紙の内容は御退院を祝すというだけなんだから一行で用が足りている。従って夏目文学博士殿と宛名を書く方が本文・・・ 夏目漱石 「博士問題とマードック先生と余」
・・・有名な夏目漱石君は一年上の英文学にいたが、フローレンツの時間で一緒に『ヘルマン・ウント・ドロテーア』を読んでいたように覚えている。私共のクラスでは、大島義脩君が首席であった。しかしそれでも後に独特の存在となられたのは、近年亡くなられた岩本禎・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
・・・によきアカデミズムがあったのなら、どうしてケーベル博士は大学の教授控室の空気を全く避けとおしたということが起ったろう。夏目漱石は、学問を好んだし当時の知識人らしく大学を愛していた。彼に好意をもって見られた『新思潮』は久米、芥川その他の赤門出・・・ 宮本百合子 「新しいアカデミアを」
出典:青空文庫