・・・ 窓際の籐椅子に腰かけて、正面に聳える六百山と霞沢山とが曇天の夕空の光に照らされて映し出した色彩の盛観に見惚れていた。山頂近く、紺青と紫とに染められた岩の割目を綴るわずかの紅葉はもう真紅に色づいているが、少し下がった水準ではまだようやく・・・ 寺田寅彦 「雨の上高地」
・・・ 新宿辺で灯がつき始めたが、駒込へ帰るまで空は明るかった。夕空の下に電燈の灯った東京の見馴れた街が、どうしたのかこの時に限って実に世にも美しい、いつもとは別な街のように見えた。 このドライヴの効果は著しかった。その後二、三日は近頃に・・・ 寺田寅彦 「異質触媒作用」
・・・と歩いて行って見たら、空地に向った高いところに、満州国からの貴賓を迎えるため赤や緑で装飾された拡声機が据えつけてあって、そこから「年齢十六歳前後、住む込みで月給七円、住みこみで月給七円」と夕空に響いているのであった。 私はパパ、ママはい・・・ 宮本百合子 「或る心持よい夕方」
午後六時 窓硝子を透して、戸外の柔かい瑠璃色の夕空が見える。 朝は思いがけなく雪が降って、寒い日であった。 泰子は、チロチロと焔の揺れる、暖かい食堂のストーブの傍のディブァンに坐って、部屋の有様を眺めて居た。・・・ 宮本百合子 「われらの家」
・・・二人の横たわっている前方の夕空にソビエットの大使館が高さを水交社と競っていた。東郷小祠の背後の方へ、折れ曲っている広い特別室に灯が入った。栖方は黄楊の葉の隙から見える後のその室を指して、「あれは少将以上の食堂ですが、何か会議があるらしい・・・ 横光利一 「微笑」
出典:青空文庫