・・・自分というものを、外形の偶然からきめられる、丁度境遇の偶然で、自分の生きかたをきめられる場合が多いように。「顔」は、様々な偶然とそれに対して自主的であるはずの自分の生涯という問題にふれている。しかしこの作品の範囲では、少年である主人公が・・・ 宮本百合子 「あとがき(『宮本百合子選集』第三巻)」
・・・特殊な資本主義発達の歴史の性質を示すところの日本のファッシズムの実相であると理解している社会的政治的現象を、村松五郎氏は、「本質的には『封建的勢力の増大』であるにもかかわらず、それが表面ファッシズムの外形を取っている」といっている。たとえば・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
・・・ 大層すらりと均整の整った体躯、睫の長い、力ある大きな二つの眼、ゆっくりとつくろわず結ねられている髪や衣服のつけ方などが、先ず外形的に、一種の快さを与えた。 最初の一瞥で、何とも云えず感じの深い而も充分威に満ちた先生の為人を感じた私・・・ 宮本百合子 「弟子の心」
・・・ 彼は自分の母親の普通に立ちまさった外形と頭脳を持って居る事を確信し、自分に対しては何処までも誠実であり純であると云う事も年不相応な比較力で見知って居るのでした。「自分は母様の子である。 母様は『僕の母様である』」と・・・ 宮本百合子 「二月七日」
・・・そのために外形上、女子大学、専門学校等が出来、何人かの婦人弁護士と、より多数の女医、沢山の女教師が出ている今日でも、その人々の専門家としての力量、社会人としての智力能力は遺憾ながら、大体同じ専門教育を受けた男子と等しくないという悲しい結果を・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
・・・もしこの種の外形的な努力が反省なしに続けて行かれるならば、日本画は低級芸術として時代の進展から落伍する時機が来るであろう。 この危険を救うものは画家の内部の革新である。芸人をやめて芸術家となることである。 院展日本画の大体としての印・・・ 和辻哲郎 「院展日本画所感」
・・・しかし今は、内部に狂おしき苦痛がひそむ時にも外形は「痛ましさ」の像となって現われる。昔の荒々しい調子、鋭き叫び声は消え失せて柔らかい静けさに変わっている。白い額に起こる影、口のあたりの痙攣、美しい優しい柔らかい声の中の、静かに流れて行くよう・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
・・・それのもたらした新事実をあげれば、まず自然科学の進歩、社会主義の勃興、一般人民の物質的享楽への権利の主張、徹底的な虚無主義の出現――芸術上においては様式の単純化、日常生活の外形的な細部の描写の成功などであるが、そこに著しい進歩があったとは言・・・ 和辻哲郎 「「自然」を深めよ」
・・・表現はその外形である。我々のなすべき第一の事は、決然として生の充実、完全、美の内に生きて行こうとする努力である。四 我々はもういくらかの人生を見て来た、意欲して来た、戦って来た。その体験は今我々の現在の人格の内に渦巻きあるい・・・ 和辻哲郎 「創作の心理について」
・・・彼はそれを自分の浅い事実に引きつけて考える事によって、外形的に自分をそれらの思想の高さまで高めて行った。その結果として彼は自分の知らない事を描きまた論じている。彼は深い語を軽々しく使う。浅い事実を深そうに表現する。問題の入り口に停まっていな・・・ 和辻哲郎 「転向」
出典:青空文庫