・・・珍々先生はこんな事を考えるのでもなく考えながら、多年の食道楽のために病的過敏となった舌の先で、苦味いとも辛いとも酸いとも、到底一言ではいい現し方のないこの奇妙な食物の味を吟味して楽しむにつけ、国の東西時の古今を論ぜず文明の極致に沈湎した人間・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・洋行も口にはいいやすいが、いざこれを実行する段になると、多年住みふるした家屋の仕末をはじめ、日々手に触れた家具や、嗜読の書をも売払わなければならない。それらの事は友人にでも託すればよいという人もあろうが、一生還って来ないつもりで出掛けるのに・・・ 永井荷風 「西瓜」
・・・否彼の多年住み古した家屋敷さえ今なお儼然と保存せられてある。千七百八年チェイン・ロウが出来てより以来幾多の主人を迎え幾多の主人を送ったかは知らぬがとにかく今日まで昔のままで残っている。カーライルの歿後は有志家の発起で彼の生前使用したる器物調・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
・・・比喩で申すと、私は多年の間懊悩した結果ようやく自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです。なお繰り返していうと、今まで霧の中に閉じ込まれたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた事になるのです。・・・ 夏目漱石 「私の個人主義」
・・・一、旧藩地に私立の学校を設るは余輩の多年企望するところにして、すでに中津にも旧知事の分禄と旧官員の周旋とによりて一校を立て、その仕組、もとより貧小なれども、今日までの成跡を以て見れば未だ失望の箇条もなく、先ず費したる財と労とに報る丈けの・・・ 福沢諭吉 「旧藩情」
・・・ かくの如くして多年の成跡を見るに、幾百の生徒中、時にあるいは不行状の者なきに非ずといえども、他の公私諸学校の生徒に比して、我が慶応義塾の生徒は徳義の薄き者に非ず、否なその品行の方正謹直にして、世事に政談にもっとも着実の名を博し、塾中、・・・ 福沢諭吉 「慶応義塾学生諸氏に告ぐ」
・・・ ゆえに我が慶応義塾においては、上等の生徒に哲学・法学あるいは政治・経済の書を禁ぜざるは、これを禁ぜずして、その真成の理を解せしめ、是非判断の識を明らかならしめんがためなり。多年の実験によってこれを案ずるに、書を読むこといよいよ深き者は・・・ 福沢諭吉 「経世の学、また講究すべし」
・・・僅かに社会党の山崎道子氏が、多年社会事業方面の事業の経験者であり、共産党の柄沢とし子氏が、労働組合活動の深い経験をもっているのが目につく。一人一人の婦人代議士についてきけば、それぞれに立志伝はあるであろう。小学校訓導をふり出しにして、今は高・・・ 宮本百合子 「一票の教訓」
・・・に対して自身の多年の閲歴を語るのであれば、それは、「見習女中」の科学性の欠如をくまなく明らかにし、自身の文学的活動のより高いレーニン的段階の獲保によってプロレタリア文学を押しすすめることにおいてこそなされるべきではなかったか。「一連の非・・・ 宮本百合子 「前進のために」
・・・それから中一年置いて、家康が多年目の上の瘤のように思った小山の城が落ちたが、それはもう勝頼の滅びる悲壮劇の序幕であった。 武田の滅びた天正十年ほど、徳川家の運命の秤が乱高下した年はあるまい。明智光秀が不意に起って信長を討ち取る。羽柴秀吉・・・ 森鴎外 「佐橋甚五郎」
出典:青空文庫