宇野浩二は聡明の人である。同時に又多感の人である。尤も本来の喜劇的精神は人を欺くことがあるかも知れない。が、己を欺くことは極めて稀にしかない人である。 のみならず、又宇野浩二は喜劇的精神を発揮しないにもしろ、あらゆる多・・・ 芥川竜之介 「格さんと食慾」
・・・の歎きをする久米、――そう云う多感多情の久米の愛すべきことは誰でも云う。が、私は殊に、如何なる悲しみをもおのずから堪える、あわれにも勇ましい久米正雄をば、こよなく嬉しく思うものである。 この久米はもう弱気ではない。そしてその輝かしい微苦・・・ 芥川竜之介 「久米正雄」
・・・たゞ、正純にして、多感的なる、人生の少年時代を温床となせる児童文学は、どの点より見ても、小型大衆小説にあらず、初歩の恋愛読本にあらず、従って、営利的商品にあらざることは論を俟ちません。また、そうあっていゝ理由がないのであります。 私・・・ 小川未明 「近頃感じたこと」
・・・そしてどちらの背中にも夏簾がかかっていて、その中で扇子を使っている人々を影絵のように見せている灯は、やがて道頓堀川のゆるやかな流れにうつっているのを見ると、私の人一倍多感な胸は躍るのでしたが、しかし、そんな風景を見せてくれた玉子を、あのいつ・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・夫の石田吉蔵を殺害して、その肉体の一部を斬り取って逃亡したという稀代の妖婦の情痴事件が世をさわがせたのは、たしか昭和十一年五月であったが、丁度その頃私はカフェ美人座の照井静子という女に、二十四歳の年少多感の胸を焦がしていた。 美人座は戎・・・ 織田作之助 「世相」
・・・蚊帳の中へ潜り込んでからも、相川は眠られなかった。多感多情であった三十何年の生涯をその晩ほど想い浮べたことはなかったのである。 寝苦しさのあまりに戸を開けて見た頃は、雨も最早すっかり止んでいた。洗ったような庭の中が何となく青白く見えるは・・・ 島崎藤村 「並木」
・・・のわずかに四十分の一、青春二十六歳、多感の一年間だけを、抜き書きした形であるが、内容に於て、四十余年間の日記の全生命を伝え得たつもりである。無礼千万ながら、私がそのように細工してしまった。勾当の霊も、また、その子孫のおかたも、どうか、ゆるし・・・ 太宰治 「盲人独笑」
・・・どんな空想的な夢物語でも多感な抒情詩でも、それが真の記録であるゆえに有益であり同時に美しいというのである。ここまではおそらく多くの読者も少なくも多少の条件付きでは首肯されるであろうと思われる。しかし、さらに一歩を進めて、科学上の傑出した著述・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・当時の文学傾向がそうであったと云うばかりでなく、また、藤村自身が二十歳を越したばかりの多感な時代にあったというばかりでなく、彼の処女詩集『若菜集』につづく四冊の詩集が、激しい自然への思慕、ロマンティックな自然への没入を示している心理の遠く深・・・ 宮本百合子 「藤村の文学にうつる自然」
・・・京大阪での五六年間を、宗房はこれまでのつづきで談林派の北村季吟の門に遊んだり、漢籍や書の修業に費したらしいけれども、彼の多感な青春彷徨は、武家時代をひきついで十七世紀の日本の歴史に新時代を画しつつあった商人擡頭期の京大阪の豪奢な日夜のうちに・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
出典:青空文庫