・・・ 昨夜船で助けた際、菊枝は袷の上へこの浴衣を着て、その上に、菊五郎格子の件の帯上を結んでいたので。 謂は何かこれにこそと、七兵衛はその時から怪んで今も真前に目を着けたが、まさかにこれが死神で、菊枝を水に導いたものとは思わなかったであ・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・ けれども、お良と坂本を乗せた三十石の夜船が京橋をはなれて、とまの灯が蘆の落かげを縫うて下るのを見送った時の登勢は、灯が見えなくなると、ふと視線を落して、暗がりの中をしずかに流れて行く水にはや遠い諦めをうつした。はたして翌る年の暮近いあ・・・ 織田作之助 「螢」
・・・ 植物園には柏のような大木があったり、いったいにどこやら日本の大庭園に似ていた。 夜船へ帰って、甲板でリモナーデを飲みながら桟橋を見ていると、そこに立っているアーク燈が妙なチラチラした青い光と煙を出している。それが急にパッと消えると・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・熱田の八剣森陰より伏し拝みてセメント会社の煙突に白湾子と焼芋かじりながらこのあたりを徘徊せし当時を思い浮べては宮川行の夜船の寒さ。さては五十鈴の流れ二見の浜など昔の草枕にて居眠りの夢を結ばんとすれどもならず。大府岡崎御油なんど昔しのばるゝ事・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・熊本から百貫まで歩いて夜船で長崎へ渡りそこで島原の方から来る友人四、五名と落ち合ったのである。なにしろ三十年も昔のことで大概のことは忘れてしまっているうちにわずかに覚えていることが妙に官能的なことばかりであるのに気が付く。 その頃の長崎・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・ 木賃宿の主人には礼金を遣り、摂津国屋へは挨拶に立ち寄って、九郎右衛門主従は六月二十八日の夜船で、伏見から津へ渡った。三十日に大暴風で阪の下に半日留められた外は、道中なんの障もなく、二人は七月十一日の夜品川に着いた。 十二日寅の刻に・・・ 森鴎外 「護持院原の敵討」
出典:青空文庫