・・・すると女は不相変畳へ眼を落したまま、こう云う話を始めたそうです――「ちょうど今から五年以前、女の夫は浅草田原町に米屋の店を開いていましたが、株に手を出したばっかりに、とうとう家産を蕩尽して、夜逃げ同様横浜へ落ちて行く事になりました。が、・・・ 芥川竜之介 「捨児」
・・・ ひとにきけば、湯崎より逃げかえった翌日、お千鶴と一緒に、夜逃げしてしまったということだった。ここらあたりから急に悪趣味になって来た「真相をあばく」の時代がかった文章を借りていうと、 ――さて、お千鶴を道連れに夜逃げをきめこんだ・・・ 織田作之助 「勧善懲悪」
・・・良いところだとはきいてはいたが夜逃げ同然にはるばる東京から流れて来れば、やはり裏通の暗さは身にしみるのだった。湯気のにおいもなにか見知らぬ土地めいた。東京から何里と勘定も出来ぬほど永い旅で、疲れた照枝は口を利く元気もなかった。胸を病んでいて・・・ 織田作之助 「雪の夜」
・・・両親は夜逃げ同然に先祖代々の相模屋をたたんで、埼玉の田舎へ引っ込んでしまった。一つには借金で首が廻らなくなっていたのだ。 安子も両親について埼玉へ行ったが、三日で田舎ぐらしに飽いてしまった。丁度そこへやってきたのが横浜にいる兄の新太郎で・・・ 織田作之助 「妖婦」
・・・けれどもね、ぼくも茲でこうやって医者を開業してみれば、別に夜逃げをする訳でもないんだから、月末まで待ってくれたまえ。」ペンキ屋「ええ、ですけれど、そう言いつかって来たんですから。」爾薩待「まあ、いいさ。僕だって、とにかくこうやって病・・・ 宮沢賢治 「植物医師」
・・・町人に生まれ、折から興隆期にある町人文化の代表者として、西鶴は談林派の自在性、その芸術感想の日常性を懐疑なく駆使して、当時の世相万端、投機、分散、夜逃げ、金銭ずくの縁組みから月ぎめの妾の境遇に到るまでを、写実的な俳諧で風俗描写している。住吉・・・ 宮本百合子 「芭蕉について」
出典:青空文庫