・・・ただ淡水と潮水とが交錯する平原の大河の水は、冷やかな青に、濁った黄の暖かみを交えて、どことなく人間化された親しさと、人間らしい意味において、ライフライクな、なつかしさがあるように思われる。ことに大川は、赭ちゃけた粘土の多い関東平野を行きつく・・・ 芥川竜之介 「大川の水」
・・・漆のような闇が大河の如く東へ東へと流れた。マッカリヌプリの絶巓の雪だけが燐光を放ってかすかに光っていた。荒らくれた大きな自然だけがそこに甦った。 こうして仁右衛門夫婦は、何処からともなくK村に現われ出て、松川農場の小作人になった。・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 明治七年七月七日、大雨の降続いたその七日七晩めに、町のもう一つの大河が可恐い洪水した。七の数が累なって、人死も夥多しかった。伝説じみるが事実である。が、その時さえこの川は、常夏の花に紅の口を漱がせ、柳の影は黒髪を解かしたのであったに―・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・ 九 蓬莱橋は早や見える、折から月に薄雲がかかったので、野も川も、船頭と船とを淡く残して一面に白み渡った、水の色は殊にやや濁を帯びたが、果もなく洋々として大河のごとく、七兵衛はさながら棲息して呼吸するもののない、・・・ 泉鏡花 「葛飾砂子」
・・・また、あるところでは、大河が流れていました。その河には橋がかかっていました。お姫さまは、その橋を渡られました。すると、あちらに、にぎやかないろいろな建物のそびえている町があったのであります。この乞食のようすをした、お姫さまに出あった人々の中・・・ 小川未明 「お姫さまと乞食の女」
・・・心境小説的私小説はあくまで傍流の小説であり、小説という大河の支流にすぎない。人間の可能性という大きな舟を泛べるにしては、余りに小河すぎるのだ。けっして主流ではない。近代小説という大海に注ぐには、心境小説的という小河は、一度主流の中へ吸い込ま・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・山の峡間がぼうと照らされて、そこから大河のように流れ出ている所もあった。彼はその異常な光景に昂奮して涙ぐんだ。風のない夜で涼みかたがた見物に来る町の人びとで城跡は賑わっていた。暗のなかから白粉を厚く塗った町の娘達がはしゃいだ眼を光らせた。・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
五月三日「あの男はどうなったかしら」との噂、よく有ることで、四五人集って以前の話が出ると、消えて去くなった者の身の上に、ツイ話が移るものである。 この大河今蔵、恐らく今時分やはり同じように噂せられているかも知れない。「時に大河・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・頭の中にいっぱいにたまっていたものが大河の堤を決したような勢いで溢れ出した。『物理年鑑』に出した論文だけでも四つでその外に学位論文をも書いた。いずれも立派なものであるが、その中の一つが相対論の元祖と称せられる「運動せる物体の電気力学」であっ・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・この谷の遠く開けて行くさきには大河のある事を思わせる。畑の中に点々と碁布した民家は、きまったように森を背負って西北の風を防いでいる。なるほど吹きさらしでは冬がしのがれまい。 私の郷里のように、また日本の大部分のように、どちらを見てもすぐ・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
出典:青空文庫