・・・もっとも海とは云うものの、万里の大洋を知ったのではない。ただ大森の海岸に狭苦しい東京湾を知ったのである。しかし狭苦しい東京湾も当時の保吉には驚異だった。奈良朝の歌人は海に寄せる恋を「大船の香取の海に碇おろしいかなる人かもの思わざらん」と歌っ・・・ 芥川竜之介 「少年」
・・・ 蘆のまわりに、円く拡がり、大洋の潮を取って、穂先に滝津瀬、水筋の高くなり行く川面から灌ぎ込むのが、一揉み揉んで、どうと落ちる……一方口のはけ路なれば、橋の下は颯々と瀬になって、畦に突き当たって渦を巻くと、其処の蘆は、裏を乱して、ぐるぐ・・・ 泉鏡花 「海の使者」
・・・その大さ、大洋の只中に計り知れぬが、巨大なるえいの浮いたので、近々と嘲けるような黄色な目、二丈にも余る青い口で、ニヤリとしてやがて沈んだ。海の魔宮の侍女であろう。その消えた後も、人の目の幻に、船の帆は少時その萌黄の油を塗った。……「畳で言い・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・今や落日、大洋、清風、蒼天、人心を一貫して流動する所のものを感得したり。 かるが故にわれは今なお牧場、森林、山岳を愛す、緑地の上、窮天の間、耳目の触るる所の者を愛す、これらはみなわが最純なる思想の錨、わが心わが霊及びわが徳性の乳母、導者・・・ 国木田独歩 「小春」
・・・しかし大洋のうねりのように高低起伏している。それも外見には一面の平原のようで、むしろ高台のところどころが低く窪んで小さな浅い谷をなしているといったほうが適当であろう。この谷の底はたいがい水田である。畑はおもに高台にある、高台は林と畑とでさま・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・そこで彼はその幼時を大洋の日に焼かれた。それ故「海の児」「日の児」としての烙印が彼の性格におされた。「われ日本の大船とならん」というような表現を彼は好んだ。また彼の消息には「鏡の如く、もちひのやうな」日輪の譬喩が非常に多い。 彼の幼時の・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 九 雪の曠野は、大洋のようにはてしがなかった。 山が雪に包まれて遠くに存在している。しかし、行っても行っても、その山は同じ大きさで、同じ位置に据っていた。少しも近くはならないように見えた。人家もなかった。番・・・ 黒島伝治 「橇」
・・・海鯨の住む大洋。木に棲み穴にいて生れながらに色の黒いくろんぼうの国。長人国。小人国。昼のない国。夜のない国。さては、百万の大軍がいま戦争さいちゅうの曠野。戦船百八十隻がたがいに砲火をまじえている海峡。シロオテは、日の没するまで語りつづけたの・・・ 太宰治 「地球図」
・・・測られぬ風の力で底無き大洋をあおって地軸と戦う浜の嵐には、人間の弱い事、小さな事が名残もなく露われて、人の心は幽冥の境へ引寄せられ、こんな物も見るのだろうと思うた。 嵐は雨を添えて刻一刻につのる。波音は次第に近くなる。 室へ帰る時、・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・たとえば地球が全部大洋かあるいは陸地におおわれていたらこういう原因から起こる一日じゅうの弛張が純粋に現われるかもしれないが、日本の沿岸のような所では地方的な海陸風に相当するものが、各季節を通じてあまりに著しく発達して、上のような地球に関する・・・ 寺田寅彦 「海陸風と夕なぎ」
出典:青空文庫