・・・ 時に大浪が、一あて推寄せたのに足を打たれて、気も上ずって蹌踉けかかった。手が、砂地に引上げてある難破船の、纔かにその形を留めて居る、三十石積と見覚えのある、その舷にかかって、五寸釘をヒヤヒヤと掴んで、また身震をした。下駄はさっきから砂・・・ 泉鏡花 「星あかり」
・・・ 円福寺の方丈の書院の床の間には光琳風の大浪、四壁の欄間には林間の羅漢の百態が描かれている。いずれも椿岳の大作に数うべきものの一つであるが、就中大浪は柱の外、框の外までも奔浪畳波が滔れて椿岳流の放胆な筆力が十分に現われておる。 円福・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・佐吉さんは、超然として、べつにお祭の晴着を着るわけでなし、ふだん着のままで、店の用事をして居ましたが、やがて、来る若者、来る若者、すべて派手な大浪模様のお揃いの浴衣を着て、腰に団扇を差し、やはり揃いの手拭いを首に巻きつけ、やあ、おめでとうご・・・ 太宰治 「老ハイデルベルヒ」
・・・かつ前にゆき、あとに従い、右から、左から、まつわりつくようにして果ては大浪の如く、驢馬とあの人をゆさぶり、ゆさぶり、「ダビデの子にホサナ、讃むべきかな、主の御名によりて来る者、いと高き処にて、ホサナ」と熱狂して口々に歌うのでした。ペテロやヨ・・・ 太宰治 「駈込み訴え」
・・・けれども、かなりの重傷で、とても助からぬと見て竹青は、一声悲しく高く鳴いて数百羽の仲間の烏を集め、羽ばたきの音も物凄く一斉に飛び立ってかの舟を襲い、羽で湖面を煽って大浪を起し忽ち舟を顛覆させて見事に報讐し、大烏群は全湖面を震撼させるほどの騒・・・ 太宰治 「竹青」
・・・ 赤え赤え煙こあ、もくらもくらと蛇体みたいに天さのぼっての、ふくれた、ゆららと流れた、のっそらと大浪うった、ぐるっぐるっと渦まえた、間もなくし、火の手あ、ののののと荒けなくなり、地ひびきたてたて山ばのぼり始めたずおん。山あ、てっぺら・・・ 太宰治 「葉」
・・・と凄い声を出して叫ぶとこの一家の団欒が滅茶苦茶になると思ったら、窓縁にしがみついた指先の力が抜けたとたんに、ざあっとまた大浪が来て、水夫のからだを沖に連れて行ってしまったのだ、たしかにそうだ、この水夫は世の中で一ばん優しくてそうして気高い人・・・ 太宰治 「雪の夜の話」
・・・ けれ共一度寄せた大浪が引く様に高ぶった感情がしずまると渚にたわむれかかる小波の様に静かに美くしく話す、その自分の言葉と心理をどうにでも向けかえる事の出来るのを千世子は羨みもし又恐ろしい事だとも思った。 千世子の好いて居る詩人をすき・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
出典:青空文庫