・・・の字さんと言う(これは国木田独歩の使った国粋的薬種問屋の若主人は子供心にも大砲よりは大きいと思ったと言うことです。同時にまた顔は稲川にそっくりだと思ったと言うことです。 半之丞は誰に聞いて見ても、極人の好い男だった上に腕も相当にあったと・・・ 芥川竜之介 「温泉だより」
・・・するとしばらく歩いている内に、大砲の音や小銃の音が、どことも知らず聞え出した。と同時に木々の空が、まるで火事でも映すように、だんだん赤濁りを帯び始めた。「戦争だ。戦争だ。」――彼女はそう思いながら、一生懸命に走ろうとした。が、いくら気負って・・・ 芥川竜之介 「奇怪な再会」
・・・梵鐘をもって大砲を鋳たのも、危急の際にはやむをえないことかもしれない。しかし泰平の時代に好んで、愛すべき過去の美術品を破壊する必要がどこにあろう。ましてその目的は、芸術的価値において卑しかるべき区々たる小銅像の建設にあるのではないか。自分は・・・ 芥川竜之介 「松江印象記」
・・・すると右舷の大砲が一門なぜか蓋を開かなかった。しかももう水平線には敵の艦隊の挙げる煙も幾すじかかすかにたなびいていた。この手ぬかりを見た水兵たちの一人は砲身の上へ跨るが早いか、身軽に砲口まで腹這って行き、両足で蓋を押しあけようとした。しかし・・・ 芥川竜之介 「三つの窓」
・・・そこには戦利品の大砲が二門、松や笹の中に並んでいる。ちょいと砲身に耳を当てて見たら、何だか息の通る音がした。大砲も欠伸をするかも知れない。彼は大砲の下に腰を下した。それから二本目の巻煙草へ火をつけた。もう車廻しの砂利の上には蜥蜴が一匹光って・・・ 芥川竜之介 「保吉の手帳から」
・・・並んだ小屋は軒別に、声を振立て、手足を揉上げ、躍りかかって、大砲の音で色花火を撒散らすがごとき鳴物まじりに人を呼ぶのに。 この看板の前にのみ、洋服が一人、羽織袴が一人、真中に、白襟、空色紋着の、廂髪で痩せこけた女が一人交って、都合三人の・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・大連が一台ずつ、黒塗り真円な大円卓を、ぐるりと輪形に陣取って、清正公には極内だけれども、これを蛇の目の陣と称え、すきを取って平らげること、焼山越の蠎蛇の比にあらず、朝鮮蔚山の敵軍へ、大砲を打込むばかり、油の黒煙を立てる裡で、お誓を呼立つるこ・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ずどん云う大砲の音を初めて聴いた時は、こおうてこおうて堪らんのやけど、度重なれば、神経が鈍になると云うか、過敏となるて云うか、それが聴えんと、寂しうて、寂しうてならん。敵は五六千メートルも隔ってるのに、目の前へでも来とる様に見えて、大砲の弾・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・「大理石の塊で彫ってもらいたいものがある、なんだと思われます、わが党の老美術家」、加藤はまず当たりました。「大砲だろう」と、中倉先生もなかなかこれで負けないのである。「大違いです。」「それならなんだ、わかったわかった」「・・・ 国木田独歩 「号外」
・・・もし真にわが一心をこの画幅とこの自然とに打ち込むなら大砲の音だって聞こえないだろうと。そこで画板にかじりつくようにして画きはじめた。しかし何の益にも立たない、僕の心は七分がた後ろの音に奪われているのだから。 そこでまたこうも思った、何も・・・ 国木田独歩 「郊外」
出典:青空文庫