・・・ここから先の地形が、なんとなく横浜大船間の丘陵起伏の模様と似通っていた。とある農家の裏畑では、若い女が畑仕事をしているのを見つけた。完全に発育している腰から下に裾の広がった袴を着けて、がんじょうな靴をはいて鍬をふるっている、下広がりのスタビ・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・立派なる洋館も散見す。大船にて横須賀行の軍人下りたるが乗客はやはり増すばかりなり。隣りに坐りし静岡の商人二人しきりに関西の暴風を語り米相場を説けば向うに腰かけし文身の老人御殿場の料理屋の亭主と云えるが富士登山の景況を語る。近頃は西洋人も婦人・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・横浜で下りた子供連れの客はたいてい博覧会行きらしかった。大船近くの土堤の桜はもうすっかり青葉になっており、将来の日本ハリウード映画都市も今ではまだ野良犬の遊び場所のように見受けられた。茅ヶ崎駅の西の線路脇にチューリップばかり咲揃った畑が見え・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
・・・あの靄の輪廓に取り巻かれている辺には、大船に乗って風波を破って行く大胆な海国の民の住んでいる町々があるのだ。その船人はまだ船の櫓の掻き分けた事のない、沈黙の潮の上を船で渡るのだ。荒海の怒に逢うては、世の常の迷も苦も無くなってしまうであろう。・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
・・・(ええ、峠まで行って引っ返して来て県道を大船渡(今晩のお泊(姥石(いや、どうも失礼しました。ほんとうにいろいろご馳走学生は鞄から敷島を一つとキャラメルの小さな箱を出して置いた。おみちは顔を赤くしてそれを押し戻した。学生はさっさと・・・ 宮沢賢治 「十六日」
・・・ 田舎に居て、東京の様子に暗い夫婦は、血縁と云うものが、この世智辛い世の中で働く事を非常に買いかぶって、当座は大船にでも乗った様な気で居た。けれ共、折々よこすお君からの便り、又、東京に居る弟の達からの知らせなどによると、眉のひそまる様な・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・そこではどっさりの大船小舟が船底をくさらせたり推進機に藻を生やしたりしているのはわかっていても、自分の小さい出来たもとの櫓や羅針盤にたよりきれないような思いがする。 ここに二人のひとがあって、一方は、所謂間違いのないという範囲で信用のあ・・・ 宮本百合子 「女の歴史」
・・・鎌倉といっても大船駅で降り、二十何町か入った山よりのところ、柳やという旅籠屋があって風呂と食事はそこで出来ることなど。「思いがけないことには、テニス・コートと小さい釣堀がある、コートはいいでしょう?」 私は、フダーヤの親切を大層うれしく・・・ 宮本百合子 「この夏」
・・・ ◎国男は一日の朝、小田原養生館を立ち大船迄来、鎌倉へ行こうとして居るとき、震災に会い歩いて鎌倉へ行った。為に、被害の甚大な二点を幸運にすりぬけて助かった。 ◎木村兄弟が来、長男の男が上の男の子を失ったと云う。 ◎笹川氏来 芝園・・・ 宮本百合子 「大正十二年九月一日よりの東京・横浜間大震火災についての記録」
去年の今頃はもう鎌倉に行っていた。鎌倉と云っても、大船と鎌倉駅との間、円覚寺の奥の方であった。不便極るところで、魚屋もろくに来ず、食べ物と云えば豆腐と胡瓜。家の風呂はポンプがこわれて駄目だから、夕方になると、円覚寺前の小料・・・ 宮本百合子 「夏」
出典:青空文庫