・・・僕が「大観」の一月号に書いた表現主義の芸術に対する感想の方が暗示の点からいうと、あるいは少し立ち勝っていはしないかと思っている。 とにかく片山氏の論文も親切なものだと思ってその時は読んだが、それについて何か書いてみようとすると、僕のいわ・・・ 有島武郎 「片信」
・・・自分はしばしば思った、こんな日に武蔵野を大観することができたらいかに美しいことだろうかと。二日置いて九日の日記にも「風強く秋声野にみつ、浮雲変幻たり」とある。ちょうどこのころはこんな天気が続いて大空と野との景色が間断なく変化して日の光は夏ら・・・ 国木田独歩 「武蔵野」
・・・『僕らは一度噴火口の縁まで登って、しばらくはすさまじい穴をのぞき込んだり四方の大観をほしいままにしたりしていたが、さすがに頂は風が寒くってたまらないので、穴から少し下りると阿蘇神社があるそのそばに小さな小屋があって番茶くらいはのませてく・・・ 国木田独歩 「忘れえぬ人々」
・・・それよりまた梯子を上り、百万遍の念珠、五百羅漢、弘法大師の護摩壇、十六善神などいうを見、天の逆鉾、八大観音などいうものあるあたりを経て、また梯子を上り、匍匐うようにして狭き口より這い出ずれば、忽ち我眼我耳の初めてここに開けしか、この雲行く天・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・ 私の案内された部屋は、旅館のうちでも、いい方の部屋らしく、床には、大観の雀の軸がかけられていた。私の服装がものを言ったらしいのである。女中が部屋の南の障子をあけて、私に気色を説明して呉れた。「あれが初島でございます。むこうにかすん・・・ 太宰治 「断崖の錯覚」
・・・ 横山大観のしょうしょうはっけいはどうも魂が抜けている。塗り盆に白い砂でこしらえる盆景の感じそのままである。全部がこしらえものである。金粉を振ったのは大きな失敗でこれも展覧会意識の生み出した悪い企図である。 速水御舟の「家」の絵は見・・・ 寺田寅彦 「昭和二年の二科会と美術院」
・・・ 近藤浩一路氏は近年「光」の画を描く事を研究しているように見える。ただそれを研究しているという事が何より先に感ぜられるので、楽しんで見るだけのゆとりが自分には出て来ない。 大観氏の四枚の絵は自分には裾模様でも見るようで、絵としての感・・・ 寺田寅彦 「二科会その他」
・・・ 横山大観氏の絵だけには、いつでも何かしら人を引きつける多少の内容といったようなものがある。決して空虚な絵を描かない人である。今年の幽霊のような女の絵でも、決して好きにはなれないが、しかし一度見たら妙に眼に残って忘れられない不思議なもの・・・ 寺田寅彦 「二科展院展急行瞥見記」
・・・横山大観、梅原龍三郎、やっぱり細川護立侯の顔を立てるとか立てぬとか。由来、日本の芸道の精髄は気稟にあった。気魄ということは芸術の擬態、くわせものにまでつかわれるものであるが、これらの場合の進退には、そういう古典的意味での伝統さえ活かされてい・・・ 宮本百合子 「雨の小やみ」
・・・ 藤村の文豪としての在りかたは、例えてみれば、栖鳳や大観が大家であるありかたとどこか共通したものがあるように思う。大観、栖鳳と云えば、ああ、と大家たることへの畏服を用意している人々が、必ずしも絵画を理解しているとは云えないのと同じである・・・ 宮本百合子 「あられ笹」
出典:青空文庫