・・・謄写刷りの読みにくい字で、誤字も多かったが、八十頁余りのその記録をその夜のうちに読み終った。 神田の新銀町の相模屋という畳屋の末娘として生れた彼女が、十四の時にもう男を知り、十八の歳で芸者、その後不見転、娼妓、私娼、妾、仲居等転々とした・・・ 織田作之助 「世相」
・・・皆な集めても百頁にも足りないのだ。これが私の、この六七年間の哀れな所得なのだ。その間に私は幾度、都会から郷里へ、郷里から都会へと、こうした惨めな気持で遁走し廻ったことだろう…… 私はまったく、粉砕された気持であった。私にも笹川の活きた生・・・ 葛西善蔵 「遁走」
・・・彼らは私の読んでいる本へ纒わりついて、私のはぐる頁のためにいつも身体を挾み込まれた。それほど彼らは逃げ足が遅い。逃げ足が遅いだけならまだしも、わずかな紙の重みの下で、あたかも梁に押えられたように、仰向けになったりして藻掻かなければならないの・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・為吉は読めもしない息子の本を拡げて、自分のものゝように頁をめくった。彼には清三がいろ/\むずかしいことを知って居り、難解な外国の本が読めるのが、丁度自分にそれだけの能力が出来たかのように嬉しいのだった。そして、ひまがあると清三のそばへ寄って・・・ 黒島伝治 「老夫婦」
・・・という、ほんの十頁ばかりの小品をここまで読み、その、生きてびくびく動いているほどの生臭い、抜きさしならぬ描写に接し、大いに驚くと共に、なんだか我慢できぬ不愉快さを覚えた。描写に対する不愉快さは、やがて、直接に、その原作者に対する不愉快となっ・・・ 太宰治 「女の決闘」
・・・義、井上幸次郎、その他数氏、未だほとんど無名にして、それぞれ、辻馬車、鷲の巣、十字街、青空、驢馬、等々の同人雑誌の選手なりしを手紙で頼んで、小説の原稿もらい、地方に於ては堂々の文芸雑誌、表紙三度刷、百頁近きもの、六百部刷って創刊号、三十部く・・・ 太宰治 「喝采」
・・・あの雑誌のうち、あの八頁だけを読みました。あなたは病気骨の髄を犯しても不倒である必要があります。これは僕の最大限の君への心の言葉。きょう僕は疲れて大へん疲れて字も書きづらいのですが、急に君へ手紙を出す必要をその中で感じましたので一筆。お正月・・・ 太宰治 「虚構の春」
・・・たった七十一頁の小冊子である。値段が安いのと表紙の色刷の模様が面白いのとで何の気なしにそれを買って電車に乗った。そうしてところどころをあけて読んでみるとなかなか面白いことが書いてあって、それが実によくわかる。面白いから通読してみる気になって・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・ これを書き終った日の夕刊第一頁に「紛糾せる予算問題。急転! 円満に解決」と例の大きな活字の見出しが出ている。そうして、この重大閣議を終ってから床屋で散髪している○相のどこかいつもより明るい横顔と、自宅へ帰って落着いて茶をのんでいる・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・「然る処続冬彦集六八頁第二行に、『速度の速い云々』と有之り之は素人なら知らぬ事物理学者として云ふべからざる過誤と存じ候、次の版に於ては必ず御訂正あり度し 失礼を顧みず申上ぐる次第に御座候 敬具」 なるほど、物理学では速度の大・・・ 寺田寅彦 「随筆難」
出典:青空文庫