・・・おぎんの父母は大阪から、はるばる長崎へ流浪して来た。が、何もし出さない内に、おぎん一人を残したまま、二人とも故人になってしまった。勿論彼等他国ものは、天主のおん教を知るはずはない。彼等の信じたのは仏教である。禅か、法華か、それともまた浄土か・・・ 芥川竜之介 「おぎん」
・・・何も京大阪と云うんじゃあるまいし、――」 地理に通じない叔母の返事は、心細いくらい曖昧だった。それが何故か唐突と、洋一の内に潜んでいたある不安を呼び醒ました。兄は帰って来るだろうか?――そう思うと彼は電報に、もっと大仰な文句を書いても、・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・京、大阪を見よう。日本中を、いや世界を見よう。……さあ、あの児来て煽れ、それ、お前は向うで上げるんだ。さあ、遣れ、遣れ。ははは、面白い。小児等しばらく逡巡す。画工の機嫌よげなるを見るより、一人は、画工の背を抱いて、凧を煽る真似す。一・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・……また合成銀と称えるのを、大阪で発明して銀煙草を並べて売る。「諸君、二円五十銭じゃ言うたんじゃ、可えか、諸君、熊手屋が。露店の売品の値価にしては、いささか高値じゃ思わるるじゃろうが、西洋の話じゃ、で、分るじゃろう。二円五十銭、可えか、・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・――大阪のある芸者――中年増であった――がその色男を尋ねて上京し、行くえが分らないので、しばらく僕の家にいた後、男のいどころが分ったので、おもちゃのような一家を構えたが、つれ添いの病気のため収入の道が絶え、窮したあげくに、この襦袢を僕の家の・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・八 対島沖の大海戦の二日後 最も元気だったのは日露戦争中であった。大阪朝日の待遇には余り平らかでなかったが、東京の編輯局には毎日あるいは隔日に出掛けて、海外電報や戦地の通信を瞬時も早く読むのを楽みとしていた。「砲声聞ゆ」・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・坪内君、大阪朝日の土屋君、独逸のドクトルになってる渡辺龍聖君なぞと同時代だった。尤も拠ろない理由で籍を置いたので、専門学校の科程を履修しようというツモリは初めからなかったのだから、籍を置いたというだけで、殆んど出席しなかったが、坪内君の講義・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・竹輪に浅蜊貝といったような物を種にして、大阪風の切鮨を売っている。一銭に四片というのを、私は六片食って、何の足しにということはなしに二銭銅貨で五厘の剰銭を取った。そんなものの五片や六片で、今朝からの空腹の満たされようもないが、それでもいくら・・・ 小栗風葉 「世間師」
その時、私には六十三銭しか持ち合せがなかったのです。 十銭白銅六つ一銭銅貨三つ。それだけを握って、大阪から東京まで線路伝いに歩いて行こうと思ったのでした。思えば正気の沙汰ではない。が、むこう見ずはもともと私にとっては生れつきの気性・・・ 織田作之助 「アド・バルーン」
・・・軽部は顔をしかめた。 そんなお君が軽部と結婚したのは十八の時だった。軽部は大阪天王寺第×小学校の教員、出世がこの男の固着観念で、若い身空で浄瑠璃など習っていたが、むろん浄瑠璃ぐるいの校長に取りいるためだった。下寺町の広沢八助に入門し・・・ 織田作之助 「雨」
出典:青空文庫