・・・「天下茶屋まで五円で行け!」「十円やって下さいよ」「五円だと言ったら、五円だ!」「じゃ、八円にしときましょう」「五円!」「じゃ、七円!」「行けと言ったら行け! 五円だ!」「五円じゃ行けませんよ!」「何ッ?・・・ 織田作之助 「四月馬鹿」
・・・すぐ金を出して、女を天下茶屋のアパートに囲った。一月の間魂が抜けたように毎夜通い、夜通し子供のように女のいいつけに応じている時だけが生き甲斐であったが、ある夜アパートに行くと、いつの間にどこへ引き越したのか、女はもうアパートにいなかった。通・・・ 織田作之助 「世相」
・・・ 小沢は両親も身寄りもない孤独な男だったが、それでも応召前は天下茶屋のアパートに住んでたのだから、今夜、大阪駅に著くと、背中の荷物は濡れないように駅の一時預けにして、まず天下茶屋のアパートへ行ってみた。 しかし、跡形もなかった。焼跡・・・ 織田作之助 「夜光虫」
・・・ 昨年、九月、甲州の御坂峠頂上の天下茶屋という茶店の二階を借りて、そこで少しずつ、その仕事をすすめて、どうやら百枚ちかくなって、読みかえしてみても、そんなに悪い出来ではない。あたらしく力を得て、とにかくこれを完成させぬうちは、東京へ帰る・・・ 太宰治 「I can speak」
甲州の御坂峠の頂上に、天下茶屋という、ささやかな茶店がある。私は、九月の十三日から、この茶店の二階を借りて少しずつ、まずしい仕事をすすめている。この茶店の人たちは、親切である。私は、当分、ここにいて、仕事にはげむつもりであ・・・ 太宰治 「富士に就いて」
出典:青空文庫