・・・「有美閨房秀 天人謫降来かね。」 趙生は微笑しながら、さっき王生が見せた会真詩の冒頭の二句を口ずさんだ。「まあ、そんなものだ。」 話したいと云った癖に、王生はそう答えたぎり、いつまでも口を噤んでいる。趙生はとうとう待兼ねたよ・・・ 芥川竜之介 「奇遇」
・・・その始人間よりも前に、安助とて無量無数の天人を造り、いまだ尊体を顕し玉わず。上一人の位を望むべからずとの天戒を定め玉い、この天戒を守らばその功徳に依って、DS の尊体を拝し、不退の楽を極むべし。もしまた破戒せば「いんへるの」とて、衆苦充満の・・・ 芥川竜之介 「るしへる」
・・・ それが紫に緋を襲ねた、かくのごとく盛粧された片袖の端、……すなわち人間界における天人の羽衣の羽の一枚であったのです。 諸君、私は謹んで、これなる令嬢の淑徳と貞操を保証いたします。……令嬢は未だかつて一度も私ごときものに、ただ姿さへ・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・いいえ、天人なぞと、そんな贅沢な。裏長屋ですもの、くさばかげろうの幽霊です。 その手拭が、娘時分に、踊のお温習に配ったのが、古行李の底かなにかに残っていたのだから、あわれですね。 千葉だそうです。千葉の町の大きな料理屋、万翠楼の姉娘・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・媼が伸上り、じろりと視て、「天人のような婦やな、羽衣を剥け、剥け。」と言う。襟も袖も引きむしる、と白い優しい肩から脇の下まで仰向けに露われ、乳へ膝を折上げて、くくられたように、踵を空へ屈めた姿で、柔にすくんでいる。「さ、その白ッこい、膏のの・・・ 泉鏡花 「神鷺之巻」
・・・ 浅草寺の天井の絵の天人が、蓮華の盥で、肌脱ぎの化粧をしながら、「こウ雲助どう、こんたア、きょう下界へでさっしゃるなら、京橋の仙女香を、とって来ておくんなんし、これサ乙女や、なによウふざけるのだ、きりきりきょうでえをだしておかねえか。」・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 群集の思わんほども憚られて、腋の下に衝と冷き汗を覚えたのこそ、天人の五衰のはじめとも言おう。 気をかえて屹となって、もの忘れした後見に烈しくきっかけを渡す状に、紫玉は虚空に向って伯爵の鸚鵡を投げた。が、あの玩具の竹蜻蛉のように、晃・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・具足円満、平等利益――南無妙……此経難持、若暫持、我即歓喜……一切天人皆応供養。――」 チーン。「ありがとう存じます。」「はいはい。」「御苦労様でございました。」「はい。」 と、袖に取った輪鉦形に肱をあげて、打傾きざ・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・いや、庭が白いと、目に遮った時は、スッと窓を出たので、手足はいつか、尾鰭になり、我はぴちぴちと跳ねて、婦の姿は廂を横に、ふわふわと欄間の天人のように見えた。 白い森も、白い家も、目の下に、たちまちさっと……空高く、松本城の天守をすれすれ・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・……はたで見ます唯今の、美女でもって夜叉羅刹のような奥方様のお姿は、老耄の目には天人、女神をそのままに、尊く美しく拝まれました。はい、この疼痛のござりますうちだけは、骨も筋も柔かに、血も二十代に若返って、楽しく、嬉しく、日を送るでござりまし・・・ 泉鏡花 「山吹」
出典:青空文庫